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  <title>手習い帖</title>
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  <description>講演会参加記録帖</description>
  <lastBuildDate>Fri, 14 Sep 2012 14:00:36 GMT</lastBuildDate>
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    <item>
    <title>シャルダン展記念講演会</title>
    <description>
    <![CDATA[<span style="color: rgb(51, 51, 51); font-size: 9pt; line-height: 20px; ">講演日　２０１２年９月６日（土）　１４：００～１６：００</span><br style="color: rgb(51, 51, 51); line-height: 20px; " />
<span style="color: rgb(51, 51, 51); font-size: 9pt; line-height: 20px; ">講　師　ピエール・ローザンベール（ルーブル美術館名誉館長、アカデミー・フランセーズ会員、シャルダン展監修）</span><br style="color: rgb(51, 51, 51); line-height: 20px; " />
<span style="color: rgb(51, 51, 51); font-size: 9pt; line-height: 20px; ">会　場コンファレンススクエアＭ＋　グランド　先着１８０名無料　要予約　同時通訳付き<br />
<br />
シャルダン展監修者の講演ということで、本当にわくわくしてこの日を待ちました。期待のあまり、寝付けなくて大変でした。それにしても、今回の展覧会はすごく力が入っている気がします。企業後援がかなりあるのかな？と勘ぐっちゃいます。ともあれ、ルーブル美術館の名誉館長さんの話が聞ける機会なんて、滅多にないじゃないですか！それも無料、つまり、ただで！ああ～、本当に、ありがたい。<br />
<br />
ピエール・ローザンベール氏は、お茶の水博士みたいな感じの方でした。真赤なネクタイにネクタイとは微妙にニュアンスの違う赤のスカーフを首にかけていらして、もう、おフランスの知性全開～ってオーラばんばんだしてました。<br />
フランス語は全くわからないので、お話の内容は同時通訳を聞くしかないのですが、さすがに、私のようなど素人ばかりではなく、研究者の方も多かったのか、フランス語のジョークにちゃんと反応している方がいました。ああ、言葉ができるっていいなあ・・・と思う瞬間です。<br />
<br />
日本での講演ということで、ちゃんと、当時の押さえておくべき社会情勢や当時の芸術界の常識などを盛り込み、<br />
丁寧に解説して下さるところはさすがです。午前中作品を見て、もやもやしていた部分が講演を聞く事によって<br />
かなり形をもった理解をする事ができました。<br />
<br />
シャルダンが、王立美術アカデミーで正規の教育を受けていない事が、逆に彼の独自性と革新性を産んだことがわかりました。正規な教育を受ける機会がなかったからこそ、描く対象にどのようにアプローチするか、自分自身で模索するしかなく、更にその真摯な探求が、彼の作品を単なる時代の絵画ではなく、１９世紀以降の画家たちに強い影響を与えて行く事になったというのが納得できました。１８世紀イギリス生まれの近代外科手術の祖ジョン・ハンターとも通じるなあとしみじみ感じてしまいました。正規の教育もとても大切であるけれど、ある意味硬直化してしまう危険もある。一方で正規の教育を受けられず、それでも、なお自身でその道を究めようとする人間だから、成し遂げられる偉業もあるんだとおもうと、人間の奥深さを感じます。<br />
<br />
講演の後質疑応答の時間が設けられ、5人ほど質問を受け付けてもらう事ができました。2人は一般人、3人は美術史関係の方のようでした。丁寧に答えていただいて、うーんさすがに一流の先生は違うなあ・・・と納得。彼にすれば子供に対する質問に過ぎないようなものでも、ちゃんと真面目にわかりやすく答えてくれるのは、嬉しいです。<br />
ローザンベール氏の講演会が火曜日に日仏会館であると言うのですが、平日ではどうにもなりません。残念！</span><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]>
    </description>
    <category>美術史</category>
    <link>http://tenarai45.blog.shinobi.jp/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%8F%B2/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3%E5%B1%95%E8%A8%98%E5%BF%B5%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BC%9A</link>
    <pubDate>Sat, 08 Sep 2012 14:05:20 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>「都市の中の美術ーイタリア・ルネサンスにおける聖なる画像と肖像表現」</title>
    <description>
    <![CDATA[<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">
	<span style="color: #333333; font-size: 9pt">講演日　２０１２年８月２５日（土）　１４：００～１５：３０</span><br />
	<span style="color: #333333; font-size: 9pt">講　師　石澤　靖典（いしざわ　やすのり）　山形大学人文学部准教授　</span><br />
	<span style="color: #333333; font-size: 9pt">会　場　国立西洋美術館講堂先着１４０名無料<br />
	<br />
	ベルリン美術館展記念公演。公演に先立ち、石澤氏のプロフィールを<font color="#333333">西洋美術館主任研究員</font>高梨氏が紹介したのだが、東北大学の後輩に当たるということで、石澤氏の研究者としての資質の高さをほめちぎっていた。<font color="#333333">イタリア・ルネサンス研究者のなかでも、15世紀を研究するのは特に難しいそうだ。なぜならば、15世紀以前の文献は基本的に中世ラテン語で、更に書体も特別な書体が使われているとのこと。文献が読みこなせなければ話にならないわけで、特に、１５世紀を研究する人は日本でもそう多くないという。その中でも、石澤氏は一押し研究者</font>だとか。あまり手放しに褒められても石澤氏もやり難いだろうなあと思ったが、そうでもないらしい。けっこう淡々とした導入部から始まった。<br />
	<br />
	歴史研究をする場合、まずその時代背景をその時代にさかのぼって、きちんと把握しておかないといけない。現代とはまるで違う価値観が支配する世界かもしれないし、町並みだって、生活様式だって、現代とは違う。そういうことをまず踏まえて、さまざまな事を検証していく必要があるわけだ。なるほど！<br />
	<br />
	お話は、「現実のフィレンツェと都市イメージ」「聖なる画像と都市の市民生活」「世俗の肖像画と都市」という３つのテーマですすめられたのだが、話が進むにつれ、最初淡々としていた石澤氏の話ぶりにも熱が入り、非常に盛り上がった。<br />
	<br />
	話の中で、非常に面白かったのは、都市が発展するに従い、芸術が市民の共同体意識を向上するための戦略として使われたという点や、聖母子や幼い姿の聖人たちのイメージが、子供の情操教育の手段として有効であるみなされていたということだ。<br />
	<br />
	また、デスマスクをとり、それを肖像彫刻や肖像画のモデルとして利用したなんていう話もあり、それを始めたのが、ダ・ヴィンチの師匠のヴェロッキオだったとか。ベルリン美術館展にはコジモ・デ・メディチレリーフが出品されているのだがその作品は、コジモが亡くなってすぐの制作で、ヴェロッキオがコジモのデスマスクを取って、それをモデルにしたのではないか？とのお話で凄く生々しくて、ぞくぞくしてしまった。<br />
	<br />
	西洋美術館の講演会は毎回とても面白いので楽しみにしているのだが、一流の研究者の話を無料で聞けるって本当にありがたいと思う。それなのに・・・・・・、隣に座った壮年男性は寝ていましたそれも、かなりの熟睡・・・・昼過ぎで眠いのはわかりますけど、せっかくの講演なんですから、ちゃんと聞いてほしいなあ・・・・。席数限定で整理券もらえなかった人もいるかもしれないのですから。</span><br />
	<br />
	<br />
	&nbsp;</div>
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    </description>
    <category>美術史</category>
    <link>http://tenarai45.blog.shinobi.jp/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%8F%B2/%E3%80%8C%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E7%BE%8E%E8%A1%93%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%81%96%E3%81%AA%E3%82%8B%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%81%A8%E8%82%96%E5%83%8F%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%80%8D</link>
    <pubDate>Sun, 26 Aug 2012 14:25:40 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>歴史潮流の中のゴヤ</title>
    <description>
    <![CDATA[<span style="color: rgb(51, 51, 51); line-height: 20px; text-align: left; ">講演日　２０１２年４月２８日（土）　１５：００～１６：００</span><br style="color: rgb(51, 51, 51); line-height: 20px; text-align: left; " />
<span style="color: rgb(51, 51, 51); line-height: 20px; text-align: left; ">講　師　ギョーム・キンツ（</span>ルーヴル美術館絵画部門学芸員）<br style="color: rgb(51, 51, 51); line-height: 20px; text-align: left; " />
<span style="color: rgb(51, 51, 51); line-height: 20px; text-align: left; ">会　場　ルーブル　ＤＮＰ　ミュージアムラボ　ホール　先着１００名（要予約）無料　同時通訳付き</span><br />
<br />
ルーヴル ‐ DNP ミュージアムラボ第9回展のオープニングを記念しての講演会。五反田ＤＮＰ本社ビル内には特別なギャラリーがあって、ルーブルから貸し出された作品をいろいろな機材を使って解説してくれる企画が行われている。<br />
過去にも何度か展示を見に行ったり、記念講演会を聞きに行っているが、なかなか楽しい催しと言える。<br />
<br />
今回は、ゴヤの≪青い服の子供≫という作品が展示されているのだが、この作品はなかなか数奇な運命をたどりルーブル美術館に所蔵されることになったのだそうだ。今日は展示観覧の予約が取れなかったので、講演会のみの参加となった。<br />
<br />
ゴヤは言わずと知れた１８世紀スペイン絵画の巨匠なのだが、その人生は激動の時代のただなかにあった。今回はその歴史の中でゴヤが描いたものはなんだったのかを、丁寧に解説してくれていた。フランス語の講演で、同時通訳なしでは勿論意味は通じないわけだが、よどみなく、熱く語られる言葉は、それだけで、すごく引き付けらた。<br />
こういう講演の場合、専門的な言葉が多いし、全体の流れも十分打ち合わせしないと難しいと思うのだけれど、二人の通訳さんの交代の部分で、全体の流れに関わる部分が飛ばされてしまったのがすごく残念だった。<br />
<br />
つい先日上野でゴヤ展を見ていたので、講演の中に出てくるゴヤの版画について、少しわかっていたので、なんとかついてはいけたが、こういう講演を聞くたびに、言葉ができたらいいのになあ・・・としみじみ思う。<br />
４時までの講演の予定が少しのびて質疑応答の時間がなかったのが心残り。実際のところ、質問ありますか？と司会の方が声をかけてはくれたが、濃い内容の講演だったので、質問を言葉にする時間が必要だった。すぐに質問がなければ終わりますって言われてしまって、予定時間が過ぎていたのはわかるけど、あと５秒待ってほしかったなあ。<br />
<br />
≪青い服の子供≫の展示は１０月２８日まで。<br />
<br />
]]>
    </description>
    <category>美術史</category>
    <link>http://tenarai45.blog.shinobi.jp/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%8F%B2/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%BD%AE%E6%B5%81%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E3%82%B4%E3%83%A4</link>
    <pubDate>Sat, 28 Apr 2012 13:43:18 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>マリー＝アントワネットの画家　ヴィジェ・ルブランとライヴァルの女性画家</title>
    <description>
    <![CDATA[<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">講演日　２０１１年３月８日（火）　１８：３０～２０：００<br />
講　師　　大野芳材<font face="Times New Roman" color="#000000" size="2">（青山学院女子短期大学教授）</font><br />
会　場　ＳＰＡＣＥ　ＮＩＯ　日本経済新聞社　東京本社２Ｆ</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">費　用　１０００円　要事前予約　<br />
<br />
大野氏の講演は３度目。相変わらずにこやかで軽やかなお話ぶりが楽しかったです。「ロココが好き！」と以前聞いた講演の時もおっしゃっていましたから、きっとお話なさりたい事がたくさんあったのでしょうねえ。１時間半の持ち時間はあっと言う間に終わってしまい、講演としてはちょっと散漫な感じになってしまっていました。でも、楽しかったです。マリー・アントワネットが描いた、父皇帝フランツ１世の絵が紹介されて、なんだかとてもほほえましかったです。<br />
<br />
話の入り口のはずだった王立絵画彫刻アカデミーと女性画家の関係のところでかなり時間が押してしまって、後の方がかけ足になってしまいました。ある程度西洋美術史を勉強すると、中世から近世の徒弟制度についての知識があるので、それを踏まえた上での話が進められるのでしょうけれど、そういった知識がない方に画家の社会的位置づけなどを話そうとすると、まずそこから話を始めなければいけないというのが、難しい課題になるのでしょう。<br />
<br />
ヴィジェ・ルブランは１８世紀末には非常に評価の高い画家であったのに、フランス本国ではまだ本格的な回顧展が開かれた事がないそうです。その理由としては、現在最先端の研究をされている方が、アメリカ人であることや、本人が同じ構図の作品をいくつも制作しており、その扱いをどうするべきなのか、評価が定まっていいないというところにあるのだそうです。<br />
<br />
１８世紀はフランス革命に代表されるように、大きな社会の変革期にあたったわけで、それは単に社会体制の変化だけでなく、文化芸術から人々の生活感覚に至るまでの本当に大きな変化が起こったのだと思います。<br />
１８世紀には本当にエネルギッシュで魅力的な人物がたくさん存在しています。ヴィジェ・ルブランもその一人だと思いますが、いかんせん、現代の感覚ではとらえきれないものを持っている人間のように思うのです。<br />
<br />
彼女の魅力はむしろ、現代日本女性の方が素直に評価できるような気がします。女性という社会的には弱い立場でありながら、それに屈することなく、時にはしたたかに、時にはしなやかに絵筆を頼りに時代を生き抜いた彼女が写しだしたのは、本当に繊細で美しい世界なんですよね。<br />
１９世紀以降、世界は「ますらおぶり」に傾いていってしまったけれど、１８世紀ロココの時代は「たおやめぶり」という日本語がまさにぴったりくるような気がしました。くしくも、展覧会のキャッチコピーは「１８世紀のカワイイを描いた女性画家たち」ですからねえ・・・・。<br />
<br />
１８世紀の彼女達は、現代女性と一緒で、「カワイイ」を描きながら、その人生はほやほやと甘いものじゃなかったんですよね。そういうところが、やっぱりひかれていってしまう理由なんでしょうか？<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
</span></div>]]>
    </description>
    <category>美術史</category>
    <link>http://tenarai45.blog.shinobi.jp/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%8F%B2/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%BB%E5%AE%B6%E3%80%80%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%80%A7%E7%94%BB%E5%AE%B6</link>
    <pubDate>Tue, 08 Mar 2011 14:24:58 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>マリー・アントワネットの画家　ヴィジェ・ルブラン</title>
    <description>
    <![CDATA[<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">講演日　２０１１年３月１日（火）　１８：３０～２０：００<br />
講　師　グザヴィエ・サルモン氏　フォンテンブロー宮殿美術館館長<br />
　　　　　フランス語　同時通訳付き<br />
会　場　ＳＰＡＣＥ　ＮＩＯ　日本経済新聞社　東京本社２Ｆ</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">費　用　１０００円　要事前予約　<br />
<br />
日本だと美術館の館長さんと言えば、結構なお年を召した方という印象があるのですが、サルモン氏はまだ５０前後くらいかと思われる若々しいかたでした。お話を聞くのが目的ですけどね、見目麗しい方だとまた一段と興味深くお話が聞けるというものです。<br />
<br />
講演の内容は、ヴィジェ・ルブランの話と言うよりも、マリー・アントワネットの肖像画の変遷がメインテーマだったように思われます。<br />
<br />
最初のエピソードがなかなか興味深い。ルイ・オーギュストとマリー・アントワネットの婚約が調い、ルイ１５世がオーストリアに画家と結髪師が派遣される。マリー・アントワネットの肖像画を描くためである。画家はわかるが、なぜ結髪師？フランス風の髪を結わせるためという話なのだが、疑問が残る。後に、とんでもない髪型を流行させる彼女だが、髪型がファッションの重要なポイントであることを、こんなところから体感したのだろうか？と妄想してしまった。<br />
<br />
この時描かれた肖像画はルイ１５世に届けられたが、今一つのできと判断されたらしい。もう一枚描かれたものが届けられ、これを原画にクロワゼが銅版画におこして、フランス国内に配られたそうだ。マリー・アントワネットの肖像画は、フランスとオーストリアの外交革命を世に知らしめる為に格好の材料だったのだろう。<br />
<br />
マリー・アントワネットは、母マリア・テレジアに届けさせるために、肖像画を依頼するが、なかなか良い作品が作られなかったそうだ。似ていない、絵のレベルが低いと言うことで、なかなか満足がいかなかったのだという。<br />
スクリーンに映し出された肖像画は、馴染みのあるものだが、確かに今一つかもしれない。彫刻の方がまだましという状態だった。<br />
<br />
始めにヴィジェ・ルブランは、公式肖像画（こんなものがあったんですかねえ・・・・）のコピーをする画家として宮廷に出入りするようになったそうだ。マリー・アントワネットと同じ年の若さと、その美しさから、目にとまり、王妃から正式な肖像画の依頼を受ける。そこから、王妃のお気に入りの画家として、いくつもの肖像画を手掛けていくことになる。<br />
<br />
ヴィジェ・ルブランが描くマリー・アントワネットは実物より美化されているというのは良く言われる事だ。しかし、この時代の肖像画、特に、王家が正式に制作させる作品は、対外的な意図をもって描かれるものである。実物に似ているという事以上に、この「意図」により忠実であることが求められたのだ。<br />
<br />
しかし、「意図」が正しく伝わるとは限らない。ヴィジェ・ルブランは事の他肌や衣装の描き方がうまい。つやつやとした絹の質感やレースの繊細さ、宝石のきらめきは、反感を産んでしまったのかもしれない。<br />
<br />
現在、私たちがヴィジェ・ルブランが描いたマリー・アントワネットの姿を見るとき、彼女が持っていた善良さ優しさを感じる事ができますが、日々の暮らしに不満が高まるばかりの人々には、伝わらなかったのでしょう。<br />
<br />
牢獄で描かれた最期の肖像画の憂いと威厳をもった表情と、荷車に乗せられた姿をダヴィッドがスケッチしたものと、どちらもが彼女の姿だったのでしょう。けれど、描きだそうとしたものが、まるで違うように思います。<br />
<br />
講演の最期に展覧会のチケットの抽選がありました。ペアチケットが１０人にプレゼントされました。<br />
<br />
<br />
<br />
</span></div>]]>
    </description>
    <category>美術史</category>
    <link>http://tenarai45.blog.shinobi.jp/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%8F%B2/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%BB%E5%AE%B6%E3%80%80%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3</link>
    <pubDate>Tue, 01 Mar 2011 14:48:04 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">tenarai45.blog.shinobi.jp://entry/33</guid>
  </item>
    <item>
    <title>マイセン磁器の３００年</title>
    <description>
    <![CDATA[<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">講演日　２０１１年１月２９日（土）　１４：００～１５：３０<br />
講　師　池田まゆみ　（美術工芸史家）<br />
会　場　サントリー美術館６Ｆホール</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">費　用　７００円　要事前予約</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">ヨーロッパにおける磁器の発祥は１８世紀。マイセン窯はその先駆者だった。１８世紀フリークとしては、ぜひ押さえておかなければならないポイントでもある。サントリー美術館でマイセン磁器の展覧会があるというので心待ちにしていた。</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">池田氏は今回の展覧会の監修の中心的な方らしく、まずは、この展覧会のねらいについて簡潔な説明があった。</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">今回の展示は、国立マイセン磁器美術館所蔵の約２万点から１６０点を厳選し、開窯から３００年に渡る歴史をたどり文化遺産としてのマイセン窯の姿を明らかにしていこうというもの。単なる名品展というよりも、マイセンが生まれた背景、発展の経過、マイセンのヨーロッパ文化に寄与したものなどに注目しているところがユニークなのだと強調されていた。</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">まずは、簡単に磁器についての解説がなされた。その後、ヨーロッパで初めて磁器製造に成功したマイセン窯の歴史秘話が語られました。</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">１８世紀にはとんでもない人物がたくさんいるのだが、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト１世のぶっとびぶりはすごい。「アウグスト強王」と渾名された彼は、とんでもない艶福家で数え切れない女性と数え切れないほどの子供を作った。（後にフランス軍の元帥になったモーリス・ド・サックスは彼の庶子だった。）並はずれた女好きだった王は、磁器狂いでもあった。２５，０００点もの東洋磁器を集め、自らが開かせたマイセン窯の作品も３５，７９８点を所有。在る時は、プロイセン王の所有する景徳鎮製の青花１５１個と騎兵６００人を交換したというのだから恐れ入る。</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">ザクセンは銀や錫の鉱山が産みだす富みで栄えていたけれど、アウグスト強王が贅沢しすぎて、財政破綻に追い込まれ、起死回生と趣味と実益を狙って、磁器製造を企てたということのようだ。</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">ベルリンで捕まりそうになった錬金術師ベットガーを捕まえて、宮廷科学者チルンハウス等と磁器製造の研究を行わせ、ついにヨーロッパで初めて本格的な磁器の開発に成功する。この成功談の裏話がなかなか面白い。</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">お城の地下で研究させたが、極秘だったので、煙を外に出すこともできず、もうもうとした煙に我慢しなければならなかったとか、脱走した技術者が、古巣に戻りたくて、磁器絵具の開発者を連れてきたとか・・・。アウグスト強王は本物の動物園を作るとランディングコストが高すぎるから、磁器で迫真の動物像を作らせて動物園にしようとしたとか・・・・。</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left"><span style="color: #333333">美しい素地に美しい彩色、塑性に優れ彫刻的造形が可能であることなどから、たちまち優れた芸術メディアとして洗練されていく様を楽しそうに語る池田氏は、本当に生き生きしていて、聞いているこちらも楽しくなってしまいました。</span></div>
<div style="background: white; margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">１８世紀末、頂点を極めたマイセン窯も、時代と共にその姿を変化させて行く。それでも、新しい表現を求め、時代を映す鏡で在り続けたマイセン窯は、ヨーロッパにおいて磁器が「芸術メディア（素材）」の一つとして捉えられてきた事を示している。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">最後に現在のマイセン窯の事について、触れていたが、なんと、原料であるカリオンの掘り出しはたった二人の男性によってされているそうだ。まさに、材料から手作りかい？と突っ込みたくなりました。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">極めつけの裏話は、浮気現場をそのまま映したような人形が展示されているのですが、何と、浮気相手の若者の人形が開梱した時に行方不明だったのだそうです。ご亭主と同じ箱に入れて気まずい思いで旅をするのは気の毒とでも梱包担当者が思ったんですかね？別の箱から出てきたそうです。なんだかおかしくなってしまいました。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">マイセン磁器の３００年展、本当に楽しい展示です。親子でもカップルでも気楽に楽しめると思います。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>]]>
    </description>
    <category>美術史</category>
    <link>http://tenarai45.blog.shinobi.jp/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%8F%B2/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%A3%81%E5%99%A8%E3%81%AE%EF%BC%93%EF%BC%90%EF%BC%90%E5%B9%B4</link>
    <pubDate>Tue, 01 Feb 2011 13:34:06 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>デューラーにおける名声のメカニズム</title>
    <description>
    <![CDATA[<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">講演日　２０１１年１月９日（日）　１４：００～１５：３０</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333"><br />
</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">講　師　秋山　聰（あきやま　あきら）　東京大学准教授　</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333"><br />
</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">会　場　国立西洋美術館講堂先着１４０名無料</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">開催中のアルブレヒト・デューラー版画・素描展を娘と見に行ったら、運よく講演会があるという。これは新年早々運がいい。娘は講演会には興味がないと言うことで、展示鑑賞後現地解散となった。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">１４０人定員のところ、聴講者は８割といったところか。学生さんと思しき若い方と、いわゆる中高年者が</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">1</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">対２という構成に思われた。講師の秋山氏は年の頃は４０代後半？ひげを蓄えたスレンダーな紳士だった。話を聞きにきたのだから、講演者の容姿がどうこういってはいけないのだろうけど、むさくるしいおっさんを見るより、小ざっぱりとした知的紳士を見る方が、ちょっと嬉しいかも・・・、などと不謹慎なことを考えてしまった。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">今回はＡ４のレジメ一枚が用意されていた。こういう講演会でレジメが用意されているととても助かる。講演内容をメモできるし、大まかな講演内容の流れも把握できる。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">今回の演題は「デューラーにおける名声のメカニズム」というもの。講師の秋山氏、「一般的な美術講演とはちょっと違いますのでご了承を」とまずは前振り。なかなか心地よいお声です。まずはお話の内容の流れをざっと示します。このスタイルは東大の先生をしている方の特徴なのだろうか？以前参加した講演会でも、東大の先生は必ずといっていいほどこのスタイルを取る。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">まずは、「名声」についての定義から。日本語では生きていても死んでいても、名声は名声だが、西洋では違うそうだ。生前の名声はラテン語で</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">fama(bono fama)</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">ドイツ語では</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">rumb(Ruhm)</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">、死後の名声はラテン語で</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">gloria </span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">ドイツ語では</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">gedechtnus(Ged&auml;chtnis)</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">１６世紀初頭のドイツ周辺の貴顕や学識者にとって、不朽の名声を確立することは重要な関心事だったそうだ。神聖ローマ皇帝マクシミリアン１世はその著作のなかで、「死後の名声に関して生前からなんら手を打っておかなかった者は、その死後記憶されることなく、その死を悼む鐘の音ともに忘れ去られてしまう。」と書いているという。デューラーはこのマクシミリアン１世の宮廷に仕え、生前から死後現在に至るまで一貫した名声を保ち続けた画家であるが、その裏には、彼が一貫して自分の名声の確立と永続の為に戦略的に行動したという事がある！のだそうだ。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">一体デューラーの名声戦略とはいかなるものであったか、いくつか例をあげて解説された。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt 18pt; text-indent: -18pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">①<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">第二次イタリア旅行（</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">1505</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">～</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">1507</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">）</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt 18pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">当時、美術界においてはイタリアが最も先進の地だった。かたやドイツと言えば後進国に過ぎず、優れた技量をもっていても、先進地イタリアにおいてその力量を認めさせるか、大問題だったのである。そこで彼がとって戦略というのが、なんとも突飛で面白い。ベネチアのサン・バルトロメオ教会の祭壇画として制作した「薔薇冠（ロザリオ）の祝祭」ではなんと画面中央に座る聖母の膝に蠅が一匹とまっている様子が描かれているのだ。話題性で盛り上げて、実際に絵を見てもらえれば技量もわかってもらえるという寸法。もうひとつ、「</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">12</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">歳のキリスト」では、画面にわざわざ「５日間で仕上げた」と書いてある。つまりは</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">5</span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">日間で描いたってこんなけ描けるんだぞ！！ってことですか！彼のこの作戦が功を奏したのか、イタリア滞在中も１００年後もイタリアで余韻が残っていたと言うことだ。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt 18pt; text-indent: -18pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">②<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span><span style="font-size: 9pt; color: #333333">イタリアから帰国後フランクフルトの裕福な商人へラーの為に「ヘラー祭壇画」を制作したのだが、その制作過程で注文主ヘラーと書簡を取り交わしている。デューラーは注文主に工賃を上げろと交渉、注文主は「こんなことなら頼まなきゃよかった。」とか逆ギレしたらしい。デューラーはもっと工賃が欲しいけれど、この絵をフランクフルトにおいて欲しいからと、譲歩したらしい。当時からフランクフルトは交通の要所で、この地で多くの人に作品を見てもらってこそ自分の力量を人々に知らしめ、名声を確立する手段となると踏んだのだ。祭壇画の納入に当たって添えた手紙では、特別丁寧な描き方をしているので、適切な取り扱いをすれば５００年間美しさを保つことができると豪語しているというからすごい。残念ながら現物は焼失してしまったそうだ。もし、現存していたら、彼の豪語した通りだったか見られたのに・・・・。残念！それにしても５００年保証の保証書付きで納入ってどんんだけ自信があったんだろう？</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">デューラーに限らず当時の人々は、後世に不朽の名声を残す事に強い関心を持っていた。では、その名声をどのように表現するのか？その手法について解説がされた。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">今でもそうだが、手っ取り早い方法は、評価の確立している人を引き合いに出すこと。日本でも新人歌手を売り出したりするときのキャッチフレーズとして「第二の○○」なんて言い方をするけれど、あの時代も同じだったらしい。デューラーはヘレニズム期の最大の画家とされたアペレスを引き合いにしてその技量がすごいのだと表現されたということだ。いわば、アペレスも真っ青・・て感じなんだろうなあ。アペレスというのはかのアレクサンダー大王が唯一肖像を描くことを許したという逸話をもっているそうだ。つまりは現代のアペレスであるデューラーに肖像画を描いてもらうという事は、モデルとなった人間がアレクサンダー大王に並べられる名声があるっていう事になるらしい。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">今回の展覧会で、多くの銅板肖像版画が出品されている。銅板肖像版画の成り立ちと刻まれた銘文によるる名声確立の為のメディアという意義について解説がされた。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">　１５世紀後半以降、印刷術については、ドイツが最先端であった。その技術によって銅板肖像画を印刷し、その画面に銘文として功績を入れて大量に流通させるという新しい方法が注目されたわけだ。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">銅板肖像版画に描かれた人物とそこに入れられた銘文の例をあげて解説がされたが、デューラーとクラナッハ（父）が描いたルターの肖像作品が並べられ、なかなか興味深かった。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">エラスムスを描いた銅版画は、エラスムス本人は似ていないと友人にこぼしていたという逸話など、とてもおかしい。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">今も昔も、自分の成した功績を後世にも伝えたいという欲望は同じなのだろうけれど、デューラーとその周辺の時代人が涙ぐましいとも言える努力で名声を勝ち取り、それを後世まで残したいと思ったからこそ、</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">様々な作品が生まれているのかなあ・・・。そう思ったら、とても親近感がわいたのでありました。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt; color: #333333">秋山氏の声がとてもソフトだったので、途中朦朧としてしまったところもありましたが、とても面白い講演でした。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>]]>
    </description>
    <category>美術史</category>
    <link>http://tenarai45.blog.shinobi.jp/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%8F%B2/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%90%8D%E5%A3%B0%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0</link>
    <pubDate>Sun, 09 Jan 2011 12:40:36 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>セーブル磁器、１８世紀の外交用の贈答品</title>
    <description>
    <![CDATA[講演日　２０１０年１０月２３日（土）　１４：００～１５：００<br />
講　師　マリー＝ロール・ド・ロシュブリュンヌ<br />
　　　　　ルーヴル美術館工芸品部門学芸員（2010年9月まで） <br />
　　　　　2010年10月よりヴェルサイユ宮殿美術館学芸員装飾美術担当<br />
会　場　ルーブル　ＤＮＰ　ミュージアムラボ　ホール　先着１００名（要予約）無料　同時通訳付き<br />
<br />
五反田の大日本印刷本社一階にルーヴル美術館と大日本印刷（DNP）がすすめる新しい美術鑑賞に関する共同プロジェクト「ルーヴル-DNP ミュージアムラボ」がある。ルーブル美術館の収蔵品を展示し、マルチメディアコンテンツを駆使したユニークな解説を楽しめる。<br />
<br />
今回の展示は第７回目のもの。第３回のティティアーノの「うさぎの聖母」の展示の時も見に行ったが、体験型のコンテンツがなかなか凝っていて面白い。<br />
<br />
第７回の展示はセーブル磁器。今日の展示開始を記念しての講演会が開かれた。講師の方はブロンドのワンレングスの素敵な女性。<br />
<br />
ヨーロッパでは美しい宝飾品や工芸品、高価な食器を友好や同盟の証として贈る習慣は、古い時代からあるとのこと。元代の白磁の壺はヨーロッパ各地の王侯の手を経て、ルイ１４世の長男の手に渡り、最終的にはイギリスの蒐集家の収蔵となっているそうだ。<br />
<br />
中国や日本からヨーロッパに運ばれた磁器はヨーロッパの王侯貴族の憧れの品だった。白く固く美しい磁器は白い宝石とまで言われたそうだ。ヨーロッパで最初に磁器の製造に成功したのはザクセン王国ドレスデン近郊のマイセン窯。そのマイセンの技師が設立したヴァンセンヌ窯を、ルイ１５世が株を買い取り、セーブルの地に移し王立窯として贈答用磁器の製造を行うことになる。セーブルで生産される磁器は、フランス王室から贈られる「外交上の贈り物」として珍重された。<br />
<br />
外交上の贈り物として、ブルボン王家はタペストリーや絨毯、金銀細工などを贈っていたのだが、そこに新たにセーブルの磁器が加わる。<br />
<br />
ではいったいどんなものが贈られたのか？<br />
今回展示されている品について、解説がされた。１７５８年３月にセーブル窯の食器セットが最初に贈られたのはデンマーク王フレデリック５世。新しく開発された緑の地色が美しい食器セットは、34,542ルーブルもした。1１ルーブル＝1万円と換算しても、3億41千万以上か！！友好の証として贈られたそうだが、凄すぎる。このセットは後にロシアのエカテリーナ２世の手に渡っている。<br />
<br />
次いで１７５８年12月にはオーストリア皇后マリア・テレジアに「緑のリボン」模様のセットが贈られている。これは同盟強化のために贈られたもので、ゴンドラを形どって作られた容器は完全オリジナルで同じものは他にないそうだ。１８５点からなるセットに、後に更に１５４点が追加された。<br />
<br />
１７６０年には、プファルツ選定侯カール・テオドールに贈られたのは、122点のセットと５５点の素焼きの食卓飾り用人形。こちらは地色が施されておらず、前者２者に贈られたものより簡素な印象。<br />
<br />
１７７３年、マリア・テレジアの娘でナポリ王妃マリア・カロリーナに贈られたセットは彼女のイニシャルＣとＬを組み合わせたものが描かれ、華やかで愛らしいものだ。<br />
<br />
1784年6月にスウェーデン王グスタフ３世が、ハーグ伯という偽名でパリにおしのび旅行に来た時、ルイ16世はマリー・アントワネットがテュイルリー宮で使うために発注したものを彼に贈っている。マリーアントワネットの為にまったく同じものが再度発注され、今回展示されているのは、蓋付鉢はマリーアントワネットのセットのもので、受け皿は、グスタフ３世に贈られたものとのこと。当時は国王が身分を隠しておしのび旅行で他国を訪問する事が結構あったそうだ。身分を明かして旅行すると、いろいろ儀礼的な行事を行わなければならないので双方面倒だからということらしい。1784年にはプロイセン公ハインリッヒもおしのびでやってきて１３２点の食器セットを贈られている。<br />
<br />
こうした食器セットはどのように使われたのか？<br />
<br />
現在、フランス料理のコースは料理が一皿一皿順番に個人にサービスされるが、これはロシア式。ナポレオンがフランスに取り入れたもので、それ以前はフランス式のサービス方法がとられていた。どんな方法かと言うと、３から８コースのコースから構成され、一つのコースごとに料理の皿がいっぺんに並べられ、会食者は自分で好きなものを前の皿から取り分けて食べる。一つのコースが約15分、コースごとに料理はすべて取り換えられるというもの。一人一人にサービス役が付き、飲み物はテーブルに置かれず、給仕係がその都度サービスするという方法だったそうだ。うかうかしていると、目当ての料理を食べる前に片づけられてしまうのか！<br />
<br />
セーブルで製造された磁器には製造年や関わった職人のイニシャルなどが裏に書かれていて、そういったものと、残っている資料でかなり来歴がはっきりするらしい。<br />
<br />
質疑応答の中で出たエピソードがなかなか面白かった。ルイ１５世はセーブル焼の製品を毎年12月～１月に王の居室で展示即売会を開いて売ったそうだ。セーブルの売り上げの約半分がこの展示即売会でのものだったという。王様の寵愛を得るためには、セーブル焼きを買わなければいけなかったのだろうか？<br />
<br />
各国に贈られた食器セットの多くは散逸してしまっているものも多いそうだ。ルーブル美術館も完全なセットは持っていないのだろう。以前エカテリーナ２世の食器コレクションの展示を見たことがあるが、美しい食器がテーブルに並べられる様はなかなかに迫力がある。外交というのは、軍事的な力関係だけではなく、美しく洗練された文化の力関係も重要だった時代である。その意味では、セーブル焼き美しさはフランスの国力を示す大きなアイテムだった事には間違いないだろう。]]>
    </description>
    <category>美術史</category>
    <link>http://tenarai45.blog.shinobi.jp/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%8F%B2/%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E7%A3%81%E5%99%A8%E3%80%81%EF%BC%91%EF%BC%98%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E5%A4%96%E4%BA%A4%E7%94%A8%E3%81%AE%E8%B4%88%E7%AD%94%E5%93%81</link>
    <pubDate>Sat, 23 Oct 2010 13:36:29 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">tenarai45.blog.shinobi.jp://entry/30</guid>
  </item>
    <item>
    <title>ドガ展記念講演会「ドガとパステル」</title>
    <description>
    <![CDATA[<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">講演日　２０１０年９月１８日（土）１４：００～１５：３０<span><br />
講　師　フィリップ・ソニエ氏　オルセー美術館学芸員　展覧会コミッショナー　同時通訳付<br />
会　場　横浜美術館レクチャーホール　先着２４０名　無料　<br />
<br />
１２時３０分から整理券配布、ひと桁代の整理券をゲットして、展示を一時間ほど観賞。レクチャーホールのど真ん中の席を確保して、講演開始を待った。<br />
<br />
オルセーの学芸員さんってどんな方かしら？と楽しみに待っていたところ、登場されたのが、な、な、なんとブラッド・ピットそっくりで更に彼を上品にしたようなハンサムでお若い男性。まだ４０代にもなっていないのではないかしら？と思われるほど。もうそれだけでテンションあがります！！ご専門は１９世紀美術だそうです。今回のカタログの巻頭にも「ドガ理解のために」という題で書かれています。</span></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">講演は、まず、「パステル」という画材の説明から始まりました。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">パステルは顔料に粘土やアラビアゴムなどを混ぜて押し固めたもので、１５世紀ごろから使われているそうです。最初はデッサンに軽く色付けするくらいだったのが、やがて、下絵やスケッチなどに使われるようになり、デッサンと油絵の中間的な位置を占めていきます。１８世紀にパステル画は洗練され多くの作品が描かれています。美しい発色と即興的な制作が可能で、特に肖像画の分野で優れた作品が残されています。（例として、カンタン・ド・ラ・トゥールのポンパドール夫人の肖像やジャン・シメオン・シャルダンの自画像など）しかし、フランス革命後、肖像画需要が減ってパステルは上流階級のご婦人の趣味用画材となってしまっていったそうだ。ドガはそのパステルを自身の表現の中心手段としていきました。１８７６～８１年に制作した作品の実に３分の２はパステルによるもので、生涯に７００点もパステル画を制作しているそうです。そして１８９０年からドガは油彩画を１点も制作していないとか。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">新古典主義的な厳格さや物語性を求める堅苦しさに飽きてきた画家たちはもっと即興的・偶発的表現を求めるようになってきていました。おりしもナポレオン３世の皇后ウージェニーのルイ１６世様式への愛着が１８世紀懐古趣味を生んでいたそうです。パステルという画材が再び注目されたという背景があるとのことでした。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">話しはドガがどんな環境で画家を目指したかという点に移りました。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">エドガー・ドガは本名イレール・ジェルマン・エドガー・ド・ガ（Hilaire Germain Edgar de Gas）。ドガの祖父はフランス革命後イタリアに渡り銀行家と成功していました。ドガの父親は祖父の銀行のパリ支店を開く為にパリに来て、ドガが生まれます。ドガ家は大富豪というわけではありませんでしたが、裕福なブルジョワ家庭であったことは確かです。彼は１８５５年エコール・ド・ボザールに入学しますが、数か月で通うのをやめて、父親にお金を出してもらって、フランス各地を旅行してまわり、帰ってきてからはルーブルで模写に精を出す生活。そして５６年から５９年まで三年間イタリアに滞在し、帰国後も、実家がある建物の上階にアトリエを設えてもらっています。ドガの父親は、息子の芸術活動に対して惜しみなく金銭的援助をしただけでなく、父親自身が芸術愛好家だった為、ドガが心置きなく芸術的模索ができるようにアドバイスもしたし、人脈も作ってくれたというのです。本当にドガって恵まれすぎるほどの環境にいたわけです。誰に媚びる必要もなく、純粋に自らの世界を模索できるわけですから・・・・。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">ところが父親が負債を隠して亡くなり、ドガのこの快適な生活は一変します。１８７６年ごろにはドガは生活の為に絵を描かなければならい状況に陥ります。その時、ドガはパステル画という手段を選択します。色が美しく、油絵のように時間や手間がかからないパステル画は格好の手段だったのでしょう。それだけでなく、ドガはきちんとアカデミックな教育を受けた人なので、絵を制作する事＝画布の選択、下地調整、絵具の調整、仕上げ等に対する厳格な姿勢を叩き込まれているわけです。産業革命や工業化によって、絵の世界も合成顔料などが登場し、絵具も自分で調整するのではなく製品として売られるようになっていました。その事に、ドガは不審と反発を感じていたようです。パステルはその製法が単純な為、信頼が置けると考えたようですし、ドガ自身が画材のテストなどをしてその堅牢度や耐久性を確かめたそうですから、なんだかルネッサンス期の画家見たいな面がある人だったのですね。とても真面目で自分の芸術に対する深い探求心を持っている！</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">同時代人がドガについて、どのように評していたか、また、ドガ自身が自分の絵についてどう考えているのかを書いたものを引用して、ドガの制作に対する考えなどが図版を交えて解説されていきました。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">ドガは印象派展８回のうち、７回に作品を出品しているが、戸外で作品を書く事はしていない。競馬を描いた作品はあるものの、ほとんどが室内のもの。そして、踊り子の絵を描くにしても、見たままを描いたように見せかけながら、実際は入念にスケッチを重ね、モチーフを練り上げ、画面の構築をしている。それは伝統的な絵画制作の方法だったけれど、</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">題材の取り方、画面構成は非常に自由で、古典的な画題や画材の階級づけに囚われていない点が非常に先進的だったわけです。古典的な確かな技術に支えられた静かなる革新ですね。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">お話を聞いて、ドガの絵が持っている、独特の突き離し感が納得できました。絵画史のみならず、１８世紀～１９世紀位の政治や経済などに興味を持って見るようになって、より印象派絵画の流れも理解できるようになってきたように思います。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">講演後の質問コーナーで、若い学生さんが学芸員を目指しているが、どんな勉強をしたらいいかと質問しました。ソニエ氏は絵画史やっても食べられないよっとシビアなアドバイスの後、絵画だけでなくその時代の事を良く学び、その当時の人達がどのように見ていたのかをきちんと知ることだとおっしゃっていました。作品はあくまでもその時代に生まれるものですから、時代と切り離す事は難しいという事でしょうね。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">他に２・３の質問も出ましたが、原稿がない質問については、通訳者さんが質問者の意図をうまく汲んで訳してくれないと、頓珍漢な答えが返ってくるんだという事がはっきりわかりました。通訳を介する質問の場合は、通訳者さんにまず自分の質問の意図がわかるように質問しなきゃいけないんだな・・・と感じました。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">それにしても、ソニエ氏はハンサムで、声もよく、とても文学的な表現をされながらのお話で、目の保養と学ぶ楽しみのグリコ状態で楽しかったです～。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt" align="left">&nbsp;</div>]]>
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    <category>美術史</category>
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    <pubDate>Sun, 19 Sep 2010 08:02:39 GMT</pubDate>
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    <title>名画とは何か　印象派とエコール・ド・パリ</title>
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    <![CDATA[<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">講演日　２０１０年７月３１日（土）１４：００～１５：３０<br />
講　師　荒屋鋪　透　氏　ポーラ美術館館長　展覧会監修者<br />
会　場　横浜美術館レクチャーホール　先着２４０名　無料</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">まず、司会担当者から、荒屋鋪透氏の略歴紹介が行われ、次いで荒屋鋪氏の登壇となる。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">ロマンスグレー（もう死語かもしれないが）の上品な感じの方です。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">まずは講演の概要を示してから、お話が始まります。レジュメの配布などがあればいいのですが、今回は無かったので、まずどんな枠組みでお話をするのか先に示してもらえたのは聞く方としてはありがたいですね。講演はクロード・モネとアメデオ・モディリアーニを中心に作品を見ながら、近代絵画における「名画とはなにか」を探るというもの。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">まず、ロンドンのナショナル・ギャラリーの展示状況の変化についてから話が始まりました。いわゆる１８世紀以前の画家（オールドマスター）による作品から、１９世紀以降、特に印象派の作品が大きな位置を占めるようになっているのだそうです。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">今でこそ西洋絵画史の中心的流れに位置付けられている「印象派」ですが、そもそもの命名が、官展（サロン・ド・パリ）に拒否されたり、酷い扱いを受けた画家たちが１８７４年に自主展覧会を開いたときにクロード・モネが出品した「印象・日の出」にちなんでつけられたもの。実際、当時の画壇はアカデミズム絵画が主流であり、自主展覧会に出品された作品は、けちょんけちょんに批判されたのだとか。でも、モネはもやもやした画面を批判されたことに発奮して、次のテーマを、当時普及し始めた鉄道の駅「サン・ラザール駅」とすることにしたそうです。当時は蒸気機関車ですから、駅はその湯気やら煙でもやもやしていて当たり前。面白かったのは、モネが駅長さんに交渉に行った時のエピソード。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">モネは一張羅を着込み、銀細工の柄がついたステッキを持って駅長に会いにいった。そして、他の駅とサン・ラザール駅のどちらを描くか検討した結果、サン・ラザール駅に決定したと交渉。つまりはわざと偉そうに振る舞って、まんまと駅長に駅構内で絵を描く許可を取り付けたって事ですね。フランスっぽい感じがして面白いエピソードです。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">印象派展は８回開かれましたが、作品の直売をしたり、印象派に好意的な批評家に雑誌などに評論を書いてもらったりと、今でいうプロモーションをやっていたと言うのが興味深かったですね。今では当たり前の手法ですが、当時は目新しかったでしょう。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">「失われた時を求めて」の作者プルーストがモネの画業を高く評価していた事や、ラベルの弦楽四重奏曲などが紹介され、絵画だけでなく音楽などとのかかわりが紹介されました。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">次いで、モディリアーニの作品について進んだのですが、ここでは、ジェラール・フィリップとアヌーク・エーメがモディリア－ニとその妻を演じた映画「モンパルナスの灯」の一部が紹介されました。（ジェラール・フィリップファンとしては思いがけずお姿が拝めてうれしかった～。それにしても、アヌーク・エーメって本当に美しいわ～。ジェラールも美男だけど、彼女の隣に置くと物足らなく見えてしまうなんて！！）なんと、この映画の彼らの演技指導にレオナール・藤田が協力していたそうです。ジャン・コクトーが写したピカソとモディリアーニが一緒に移った写真なども紹介されて、なんだかびっくりしました。確かにモディリアーニが描いたジャン・コクトーの肖像画があるんですから知り合いだったはずですけど。芸術界と言うのは繋がっているんだなあと改めて感じました。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">最後はちょっとピカソがセザンヌの事をとても尊敬していて、今回出品されている「裸婦」もセザンヌの作品のオマージュであるとして解説されました。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">最後のまとめとして近代絵画において「名画」の条件とは何かという点について３点あげられました。ちょっと時間が押していて書きとめられなかったのですが、私の理解では、</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">「個性の表現の追求がなされているか」ということではないかと思った次第。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">確かに、ピカソはピカソでしかないし、モディリアーニはモディリアーニです。ピカソ風とかモディリアーニ風の作品では名画にはなりえないってことでしょう。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">最後に質疑応答があって、２人の男性が質問されました、荒屋鋪氏はとっても丁寧にお答えになって、結局講演終了は４時近くとなりました。こういう講演会には常連さんがいるのでしょうねえ。質問された方のお一人は、どうも他の講演会でもお声を聞いた事があるような・・・・。まあ、私も「ただ」にひかれて出来るだけ参加しようとしているのですから、お仲間ですねえ。</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>]]>
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    <category>美術史</category>
    <link>http://tenarai45.blog.shinobi.jp/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%8F%B2/%E5%90%8D%E7%94%BB%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%E3%80%80%E5%8D%B0%E8%B1%A1%E6%B4%BE%E3%81%A8%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AA</link>
    <pubDate>Sat, 31 Jul 2010 13:08:48 GMT</pubDate>
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