講演会参加記録帖
No.33
2011/03/01 (Tue) 23:48:04
講演日 2011年3月1日(火) 18:30~20:00
講 師 グザヴィエ・サルモン氏 フォンテンブロー宮殿美術館館長
フランス語 同時通訳付き
会 場 SPACE NIO 日本経済新聞社 東京本社2F
講 師 グザヴィエ・サルモン氏 フォンテンブロー宮殿美術館館長
フランス語 同時通訳付き
会 場 SPACE NIO 日本経済新聞社 東京本社2F
費 用 1000円 要事前予約
日本だと美術館の館長さんと言えば、結構なお年を召した方という印象があるのですが、サルモン氏はまだ50前後くらいかと思われる若々しいかたでした。お話を聞くのが目的ですけどね、見目麗しい方だとまた一段と興味深くお話が聞けるというものです。
講演の内容は、ヴィジェ・ルブランの話と言うよりも、マリー・アントワネットの肖像画の変遷がメインテーマだったように思われます。
最初のエピソードがなかなか興味深い。ルイ・オーギュストとマリー・アントワネットの婚約が調い、ルイ15世がオーストリアに画家と結髪師が派遣される。マリー・アントワネットの肖像画を描くためである。画家はわかるが、なぜ結髪師?フランス風の髪を結わせるためという話なのだが、疑問が残る。後に、とんでもない髪型を流行させる彼女だが、髪型がファッションの重要なポイントであることを、こんなところから体感したのだろうか?と妄想してしまった。
この時描かれた肖像画はルイ15世に届けられたが、今一つのできと判断されたらしい。もう一枚描かれたものが届けられ、これを原画にクロワゼが銅版画におこして、フランス国内に配られたそうだ。マリー・アントワネットの肖像画は、フランスとオーストリアの外交革命を世に知らしめる為に格好の材料だったのだろう。
マリー・アントワネットは、母マリア・テレジアに届けさせるために、肖像画を依頼するが、なかなか良い作品が作られなかったそうだ。似ていない、絵のレベルが低いと言うことで、なかなか満足がいかなかったのだという。
スクリーンに映し出された肖像画は、馴染みのあるものだが、確かに今一つかもしれない。彫刻の方がまだましという状態だった。
始めにヴィジェ・ルブランは、公式肖像画(こんなものがあったんですかねえ・・・・)のコピーをする画家として宮廷に出入りするようになったそうだ。マリー・アントワネットと同じ年の若さと、その美しさから、目にとまり、王妃から正式な肖像画の依頼を受ける。そこから、王妃のお気に入りの画家として、いくつもの肖像画を手掛けていくことになる。
ヴィジェ・ルブランが描くマリー・アントワネットは実物より美化されているというのは良く言われる事だ。しかし、この時代の肖像画、特に、王家が正式に制作させる作品は、対外的な意図をもって描かれるものである。実物に似ているという事以上に、この「意図」により忠実であることが求められたのだ。
しかし、「意図」が正しく伝わるとは限らない。ヴィジェ・ルブランは事の他肌や衣装の描き方がうまい。つやつやとした絹の質感やレースの繊細さ、宝石のきらめきは、反感を産んでしまったのかもしれない。
現在、私たちがヴィジェ・ルブランが描いたマリー・アントワネットの姿を見るとき、彼女が持っていた善良さ優しさを感じる事ができますが、日々の暮らしに不満が高まるばかりの人々には、伝わらなかったのでしょう。
牢獄で描かれた最期の肖像画の憂いと威厳をもった表情と、荷車に乗せられた姿をダヴィッドがスケッチしたものと、どちらもが彼女の姿だったのでしょう。けれど、描きだそうとしたものが、まるで違うように思います。
講演の最期に展覧会のチケットの抽選がありました。ペアチケットが10人にプレゼントされました。
日本だと美術館の館長さんと言えば、結構なお年を召した方という印象があるのですが、サルモン氏はまだ50前後くらいかと思われる若々しいかたでした。お話を聞くのが目的ですけどね、見目麗しい方だとまた一段と興味深くお話が聞けるというものです。
講演の内容は、ヴィジェ・ルブランの話と言うよりも、マリー・アントワネットの肖像画の変遷がメインテーマだったように思われます。
最初のエピソードがなかなか興味深い。ルイ・オーギュストとマリー・アントワネットの婚約が調い、ルイ15世がオーストリアに画家と結髪師が派遣される。マリー・アントワネットの肖像画を描くためである。画家はわかるが、なぜ結髪師?フランス風の髪を結わせるためという話なのだが、疑問が残る。後に、とんでもない髪型を流行させる彼女だが、髪型がファッションの重要なポイントであることを、こんなところから体感したのだろうか?と妄想してしまった。
この時描かれた肖像画はルイ15世に届けられたが、今一つのできと判断されたらしい。もう一枚描かれたものが届けられ、これを原画にクロワゼが銅版画におこして、フランス国内に配られたそうだ。マリー・アントワネットの肖像画は、フランスとオーストリアの外交革命を世に知らしめる為に格好の材料だったのだろう。
マリー・アントワネットは、母マリア・テレジアに届けさせるために、肖像画を依頼するが、なかなか良い作品が作られなかったそうだ。似ていない、絵のレベルが低いと言うことで、なかなか満足がいかなかったのだという。
スクリーンに映し出された肖像画は、馴染みのあるものだが、確かに今一つかもしれない。彫刻の方がまだましという状態だった。
始めにヴィジェ・ルブランは、公式肖像画(こんなものがあったんですかねえ・・・・)のコピーをする画家として宮廷に出入りするようになったそうだ。マリー・アントワネットと同じ年の若さと、その美しさから、目にとまり、王妃から正式な肖像画の依頼を受ける。そこから、王妃のお気に入りの画家として、いくつもの肖像画を手掛けていくことになる。
ヴィジェ・ルブランが描くマリー・アントワネットは実物より美化されているというのは良く言われる事だ。しかし、この時代の肖像画、特に、王家が正式に制作させる作品は、対外的な意図をもって描かれるものである。実物に似ているという事以上に、この「意図」により忠実であることが求められたのだ。
しかし、「意図」が正しく伝わるとは限らない。ヴィジェ・ルブランは事の他肌や衣装の描き方がうまい。つやつやとした絹の質感やレースの繊細さ、宝石のきらめきは、反感を産んでしまったのかもしれない。
現在、私たちがヴィジェ・ルブランが描いたマリー・アントワネットの姿を見るとき、彼女が持っていた善良さ優しさを感じる事ができますが、日々の暮らしに不満が高まるばかりの人々には、伝わらなかったのでしょう。
牢獄で描かれた最期の肖像画の憂いと威厳をもった表情と、荷車に乗せられた姿をダヴィッドがスケッチしたものと、どちらもが彼女の姿だったのでしょう。けれど、描きだそうとしたものが、まるで違うように思います。
講演の最期に展覧会のチケットの抽選がありました。ペアチケットが10人にプレゼントされました。
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