忍者ブログ
AdminWriteComment
講演会参加記録帖
No.
2024/09/29 (Sun) 04:18:52

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

No.29
2010/09/19 (Sun) 17:02:39

講演日 2010年9月18日(土)14:00~15:30
講 師 フィリップ・ソニエ氏 オルセー美術館学芸員 展覧会コミッショナー 同時通訳付
会 場 横浜美術館レクチャーホール 先着240名 無料 

12時30分から整理券配布、ひと桁代の整理券をゲットして、展示を一時間ほど観賞。レクチャーホールのど真ん中の席を確保して、講演開始を待った。

オルセーの学芸員さんってどんな方かしら?と楽しみに待っていたところ、登場されたのが、な、な、なんとブラッド・ピットそっくりで更に彼を上品にしたようなハンサムでお若い男性。まだ40代にもなっていないのではないかしら?と思われるほど。もうそれだけでテンションあがります!!ご専門は19世紀美術だそうです。今回のカタログの巻頭にも「ドガ理解のために」という題で書かれています。
 
講演は、まず、「パステル」という画材の説明から始まりました。
パステルは顔料に粘土やアラビアゴムなどを混ぜて押し固めたもので、15世紀ごろから使われているそうです。最初はデッサンに軽く色付けするくらいだったのが、やがて、下絵やスケッチなどに使われるようになり、デッサンと油絵の中間的な位置を占めていきます。18世紀にパステル画は洗練され多くの作品が描かれています。美しい発色と即興的な制作が可能で、特に肖像画の分野で優れた作品が残されています。(例として、カンタン・ド・ラ・トゥールのポンパドール夫人の肖像やジャン・シメオン・シャルダンの自画像など)しかし、フランス革命後、肖像画需要が減ってパステルは上流階級のご婦人の趣味用画材となってしまっていったそうだ。ドガはそのパステルを自身の表現の中心手段としていきました。1876~81年に制作した作品の実に3分の2はパステルによるもので、生涯に700点もパステル画を制作しているそうです。そして1890年からドガは油彩画を1点も制作していないとか。
 
新古典主義的な厳格さや物語性を求める堅苦しさに飽きてきた画家たちはもっと即興的・偶発的表現を求めるようになってきていました。おりしもナポレオン3世の皇后ウージェニーのルイ16世様式への愛着が18世紀懐古趣味を生んでいたそうです。パステルという画材が再び注目されたという背景があるとのことでした。
 
話しはドガがどんな環境で画家を目指したかという点に移りました。
エドガー・ドガは本名イレール・ジェルマン・エドガー・ド・ガ(Hilaire Germain Edgar de Gas)。ドガの祖父はフランス革命後イタリアに渡り銀行家と成功していました。ドガの父親は祖父の銀行のパリ支店を開く為にパリに来て、ドガが生まれます。ドガ家は大富豪というわけではありませんでしたが、裕福なブルジョワ家庭であったことは確かです。彼は1855年エコール・ド・ボザールに入学しますが、数か月で通うのをやめて、父親にお金を出してもらって、フランス各地を旅行してまわり、帰ってきてからはルーブルで模写に精を出す生活。そして56年から59年まで三年間イタリアに滞在し、帰国後も、実家がある建物の上階にアトリエを設えてもらっています。ドガの父親は、息子の芸術活動に対して惜しみなく金銭的援助をしただけでなく、父親自身が芸術愛好家だった為、ドガが心置きなく芸術的模索ができるようにアドバイスもしたし、人脈も作ってくれたというのです。本当にドガって恵まれすぎるほどの環境にいたわけです。誰に媚びる必要もなく、純粋に自らの世界を模索できるわけですから・・・・。
 
ところが父親が負債を隠して亡くなり、ドガのこの快適な生活は一変します。1876年ごろにはドガは生活の為に絵を描かなければならい状況に陥ります。その時、ドガはパステル画という手段を選択します。色が美しく、油絵のように時間や手間がかからないパステル画は格好の手段だったのでしょう。それだけでなく、ドガはきちんとアカデミックな教育を受けた人なので、絵を制作する事=画布の選択、下地調整、絵具の調整、仕上げ等に対する厳格な姿勢を叩き込まれているわけです。産業革命や工業化によって、絵の世界も合成顔料などが登場し、絵具も自分で調整するのではなく製品として売られるようになっていました。その事に、ドガは不審と反発を感じていたようです。パステルはその製法が単純な為、信頼が置けると考えたようですし、ドガ自身が画材のテストなどをしてその堅牢度や耐久性を確かめたそうですから、なんだかルネッサンス期の画家見たいな面がある人だったのですね。とても真面目で自分の芸術に対する深い探求心を持っている!
同時代人がドガについて、どのように評していたか、また、ドガ自身が自分の絵についてどう考えているのかを書いたものを引用して、ドガの制作に対する考えなどが図版を交えて解説されていきました。
 
ドガは印象派展8回のうち、7回に作品を出品しているが、戸外で作品を書く事はしていない。競馬を描いた作品はあるものの、ほとんどが室内のもの。そして、踊り子の絵を描くにしても、見たままを描いたように見せかけながら、実際は入念にスケッチを重ね、モチーフを練り上げ、画面の構築をしている。それは伝統的な絵画制作の方法だったけれど、
題材の取り方、画面構成は非常に自由で、古典的な画題や画材の階級づけに囚われていない点が非常に先進的だったわけです。古典的な確かな技術に支えられた静かなる革新ですね。
 
お話を聞いて、ドガの絵が持っている、独特の突き離し感が納得できました。絵画史のみならず、18世紀~19世紀位の政治や経済などに興味を持って見るようになって、より印象派絵画の流れも理解できるようになってきたように思います。
 
講演後の質問コーナーで、若い学生さんが学芸員を目指しているが、どんな勉強をしたらいいかと質問しました。ソニエ氏は絵画史やっても食べられないよっとシビアなアドバイスの後、絵画だけでなくその時代の事を良く学び、その当時の人達がどのように見ていたのかをきちんと知ることだとおっしゃっていました。作品はあくまでもその時代に生まれるものですから、時代と切り離す事は難しいという事でしょうね。
他に2・3の質問も出ましたが、原稿がない質問については、通訳者さんが質問者の意図をうまく汲んで訳してくれないと、頓珍漢な答えが返ってくるんだという事がはっきりわかりました。通訳を介する質問の場合は、通訳者さんにまず自分の質問の意図がわかるように質問しなきゃいけないんだな・・・と感じました。
 
それにしても、ソニエ氏はハンサムで、声もよく、とても文学的な表現をされながらのお話で、目の保養と学ぶ楽しみのグリコ状態で楽しかったです~。
 
PR
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
[34]  [33]  [32]  [31]  [30]  [29]  [27]  [26]  [25]  [24]  [23
カレンダー
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
フリーエリア
最新CM
[12/05 正春]
[12/04 DNA]
[12/04 正春]
最新TB
プロフィール
HN:
DNA
性別:
非公開
職業:
流通業事務屋
趣味:
美術展鑑賞と読書
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]