講演会参加記録帖
No.27
2010/07/31 (Sat) 22:08:48
講演日 2010年7月31日(土)14:00~15:30
講 師 荒屋鋪 透 氏 ポーラ美術館館長 展覧会監修者
会 場 横浜美術館レクチャーホール 先着240名 無料
講 師 荒屋鋪 透 氏 ポーラ美術館館長 展覧会監修者
会 場 横浜美術館レクチャーホール 先着240名 無料
まず、司会担当者から、荒屋鋪透氏の略歴紹介が行われ、次いで荒屋鋪氏の登壇となる。
ロマンスグレー(もう死語かもしれないが)の上品な感じの方です。
まずは講演の概要を示してから、お話が始まります。レジュメの配布などがあればいいのですが、今回は無かったので、まずどんな枠組みでお話をするのか先に示してもらえたのは聞く方としてはありがたいですね。講演はクロード・モネとアメデオ・モディリアーニを中心に作品を見ながら、近代絵画における「名画とはなにか」を探るというもの。
まず、ロンドンのナショナル・ギャラリーの展示状況の変化についてから話が始まりました。いわゆる18世紀以前の画家(オールドマスター)による作品から、19世紀以降、特に印象派の作品が大きな位置を占めるようになっているのだそうです。
今でこそ西洋絵画史の中心的流れに位置付けられている「印象派」ですが、そもそもの命名が、官展(サロン・ド・パリ)に拒否されたり、酷い扱いを受けた画家たちが1874年に自主展覧会を開いたときにクロード・モネが出品した「印象・日の出」にちなんでつけられたもの。実際、当時の画壇はアカデミズム絵画が主流であり、自主展覧会に出品された作品は、けちょんけちょんに批判されたのだとか。でも、モネはもやもやした画面を批判されたことに発奮して、次のテーマを、当時普及し始めた鉄道の駅「サン・ラザール駅」とすることにしたそうです。当時は蒸気機関車ですから、駅はその湯気やら煙でもやもやしていて当たり前。面白かったのは、モネが駅長さんに交渉に行った時のエピソード。
モネは一張羅を着込み、銀細工の柄がついたステッキを持って駅長に会いにいった。そして、他の駅とサン・ラザール駅のどちらを描くか検討した結果、サン・ラザール駅に決定したと交渉。つまりはわざと偉そうに振る舞って、まんまと駅長に駅構内で絵を描く許可を取り付けたって事ですね。フランスっぽい感じがして面白いエピソードです。
印象派展は8回開かれましたが、作品の直売をしたり、印象派に好意的な批評家に雑誌などに評論を書いてもらったりと、今でいうプロモーションをやっていたと言うのが興味深かったですね。今では当たり前の手法ですが、当時は目新しかったでしょう。
「失われた時を求めて」の作者プルーストがモネの画業を高く評価していた事や、ラベルの弦楽四重奏曲などが紹介され、絵画だけでなく音楽などとのかかわりが紹介されました。
次いで、モディリアーニの作品について進んだのですが、ここでは、ジェラール・フィリップとアヌーク・エーメがモディリア-ニとその妻を演じた映画「モンパルナスの灯」の一部が紹介されました。(ジェラール・フィリップファンとしては思いがけずお姿が拝めてうれしかった~。それにしても、アヌーク・エーメって本当に美しいわ~。ジェラールも美男だけど、彼女の隣に置くと物足らなく見えてしまうなんて!!)なんと、この映画の彼らの演技指導にレオナール・藤田が協力していたそうです。ジャン・コクトーが写したピカソとモディリアーニが一緒に移った写真なども紹介されて、なんだかびっくりしました。確かにモディリアーニが描いたジャン・コクトーの肖像画があるんですから知り合いだったはずですけど。芸術界と言うのは繋がっているんだなあと改めて感じました。
最後はちょっとピカソがセザンヌの事をとても尊敬していて、今回出品されている「裸婦」もセザンヌの作品のオマージュであるとして解説されました。
最後のまとめとして近代絵画において「名画」の条件とは何かという点について3点あげられました。ちょっと時間が押していて書きとめられなかったのですが、私の理解では、
「個性の表現の追求がなされているか」ということではないかと思った次第。
確かに、ピカソはピカソでしかないし、モディリアーニはモディリアーニです。ピカソ風とかモディリアーニ風の作品では名画にはなりえないってことでしょう。
最後に質疑応答があって、2人の男性が質問されました、荒屋鋪氏はとっても丁寧にお答えになって、結局講演終了は4時近くとなりました。こういう講演会には常連さんがいるのでしょうねえ。質問された方のお一人は、どうも他の講演会でもお声を聞いた事があるような・・・・。まあ、私も「ただ」にひかれて出来るだけ参加しようとしているのですから、お仲間ですねえ。
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