講演会参加記録帖
No.30
2010/10/23 (Sat) 22:36:29
講演日 2010年10月23日(土) 14:00~15:00
講 師 マリー=ロール・ド・ロシュブリュンヌ
ルーヴル美術館工芸品部門学芸員(2010年9月まで)
2010年10月よりヴェルサイユ宮殿美術館学芸員装飾美術担当
会 場 ルーブル DNP ミュージアムラボ ホール 先着100名(要予約)無料 同時通訳付き
五反田の大日本印刷本社一階にルーヴル美術館と大日本印刷(DNP)がすすめる新しい美術鑑賞に関する共同プロジェクト「ルーヴル-DNP ミュージアムラボ」がある。ルーブル美術館の収蔵品を展示し、マルチメディアコンテンツを駆使したユニークな解説を楽しめる。
今回の展示は第7回目のもの。第3回のティティアーノの「うさぎの聖母」の展示の時も見に行ったが、体験型のコンテンツがなかなか凝っていて面白い。
第7回の展示はセーブル磁器。今日の展示開始を記念しての講演会が開かれた。講師の方はブロンドのワンレングスの素敵な女性。
ヨーロッパでは美しい宝飾品や工芸品、高価な食器を友好や同盟の証として贈る習慣は、古い時代からあるとのこと。元代の白磁の壺はヨーロッパ各地の王侯の手を経て、ルイ14世の長男の手に渡り、最終的にはイギリスの蒐集家の収蔵となっているそうだ。
中国や日本からヨーロッパに運ばれた磁器はヨーロッパの王侯貴族の憧れの品だった。白く固く美しい磁器は白い宝石とまで言われたそうだ。ヨーロッパで最初に磁器の製造に成功したのはザクセン王国ドレスデン近郊のマイセン窯。そのマイセンの技師が設立したヴァンセンヌ窯を、ルイ15世が株を買い取り、セーブルの地に移し王立窯として贈答用磁器の製造を行うことになる。セーブルで生産される磁器は、フランス王室から贈られる「外交上の贈り物」として珍重された。
外交上の贈り物として、ブルボン王家はタペストリーや絨毯、金銀細工などを贈っていたのだが、そこに新たにセーブルの磁器が加わる。
ではいったいどんなものが贈られたのか?
今回展示されている品について、解説がされた。1758年3月にセーブル窯の食器セットが最初に贈られたのはデンマーク王フレデリック5世。新しく開発された緑の地色が美しい食器セットは、34,542ルーブルもした。11ルーブル=1万円と換算しても、3億41千万以上か!!友好の証として贈られたそうだが、凄すぎる。このセットは後にロシアのエカテリーナ2世の手に渡っている。
次いで1758年12月にはオーストリア皇后マリア・テレジアに「緑のリボン」模様のセットが贈られている。これは同盟強化のために贈られたもので、ゴンドラを形どって作られた容器は完全オリジナルで同じものは他にないそうだ。185点からなるセットに、後に更に154点が追加された。
1760年には、プファルツ選定侯カール・テオドールに贈られたのは、122点のセットと55点の素焼きの食卓飾り用人形。こちらは地色が施されておらず、前者2者に贈られたものより簡素な印象。
1773年、マリア・テレジアの娘でナポリ王妃マリア・カロリーナに贈られたセットは彼女のイニシャルCとLを組み合わせたものが描かれ、華やかで愛らしいものだ。
1784年6月にスウェーデン王グスタフ3世が、ハーグ伯という偽名でパリにおしのび旅行に来た時、ルイ16世はマリー・アントワネットがテュイルリー宮で使うために発注したものを彼に贈っている。マリーアントワネットの為にまったく同じものが再度発注され、今回展示されているのは、蓋付鉢はマリーアントワネットのセットのもので、受け皿は、グスタフ3世に贈られたものとのこと。当時は国王が身分を隠しておしのび旅行で他国を訪問する事が結構あったそうだ。身分を明かして旅行すると、いろいろ儀礼的な行事を行わなければならないので双方面倒だからということらしい。1784年にはプロイセン公ハインリッヒもおしのびでやってきて132点の食器セットを贈られている。
こうした食器セットはどのように使われたのか?
現在、フランス料理のコースは料理が一皿一皿順番に個人にサービスされるが、これはロシア式。ナポレオンがフランスに取り入れたもので、それ以前はフランス式のサービス方法がとられていた。どんな方法かと言うと、3から8コースのコースから構成され、一つのコースごとに料理の皿がいっぺんに並べられ、会食者は自分で好きなものを前の皿から取り分けて食べる。一つのコースが約15分、コースごとに料理はすべて取り換えられるというもの。一人一人にサービス役が付き、飲み物はテーブルに置かれず、給仕係がその都度サービスするという方法だったそうだ。うかうかしていると、目当ての料理を食べる前に片づけられてしまうのか!
セーブルで製造された磁器には製造年や関わった職人のイニシャルなどが裏に書かれていて、そういったものと、残っている資料でかなり来歴がはっきりするらしい。
質疑応答の中で出たエピソードがなかなか面白かった。ルイ15世はセーブル焼の製品を毎年12月~1月に王の居室で展示即売会を開いて売ったそうだ。セーブルの売り上げの約半分がこの展示即売会でのものだったという。王様の寵愛を得るためには、セーブル焼きを買わなければいけなかったのだろうか?
各国に贈られた食器セットの多くは散逸してしまっているものも多いそうだ。ルーブル美術館も完全なセットは持っていないのだろう。以前エカテリーナ2世の食器コレクションの展示を見たことがあるが、美しい食器がテーブルに並べられる様はなかなかに迫力がある。外交というのは、軍事的な力関係だけではなく、美しく洗練された文化の力関係も重要だった時代である。その意味では、セーブル焼き美しさはフランスの国力を示す大きなアイテムだった事には間違いないだろう。
講 師 マリー=ロール・ド・ロシュブリュンヌ
ルーヴル美術館工芸品部門学芸員(2010年9月まで)
2010年10月よりヴェルサイユ宮殿美術館学芸員装飾美術担当
会 場 ルーブル DNP ミュージアムラボ ホール 先着100名(要予約)無料 同時通訳付き
五反田の大日本印刷本社一階にルーヴル美術館と大日本印刷(DNP)がすすめる新しい美術鑑賞に関する共同プロジェクト「ルーヴル-DNP ミュージアムラボ」がある。ルーブル美術館の収蔵品を展示し、マルチメディアコンテンツを駆使したユニークな解説を楽しめる。
今回の展示は第7回目のもの。第3回のティティアーノの「うさぎの聖母」の展示の時も見に行ったが、体験型のコンテンツがなかなか凝っていて面白い。
第7回の展示はセーブル磁器。今日の展示開始を記念しての講演会が開かれた。講師の方はブロンドのワンレングスの素敵な女性。
ヨーロッパでは美しい宝飾品や工芸品、高価な食器を友好や同盟の証として贈る習慣は、古い時代からあるとのこと。元代の白磁の壺はヨーロッパ各地の王侯の手を経て、ルイ14世の長男の手に渡り、最終的にはイギリスの蒐集家の収蔵となっているそうだ。
中国や日本からヨーロッパに運ばれた磁器はヨーロッパの王侯貴族の憧れの品だった。白く固く美しい磁器は白い宝石とまで言われたそうだ。ヨーロッパで最初に磁器の製造に成功したのはザクセン王国ドレスデン近郊のマイセン窯。そのマイセンの技師が設立したヴァンセンヌ窯を、ルイ15世が株を買い取り、セーブルの地に移し王立窯として贈答用磁器の製造を行うことになる。セーブルで生産される磁器は、フランス王室から贈られる「外交上の贈り物」として珍重された。
外交上の贈り物として、ブルボン王家はタペストリーや絨毯、金銀細工などを贈っていたのだが、そこに新たにセーブルの磁器が加わる。
ではいったいどんなものが贈られたのか?
今回展示されている品について、解説がされた。1758年3月にセーブル窯の食器セットが最初に贈られたのはデンマーク王フレデリック5世。新しく開発された緑の地色が美しい食器セットは、34,542ルーブルもした。11ルーブル=1万円と換算しても、3億41千万以上か!!友好の証として贈られたそうだが、凄すぎる。このセットは後にロシアのエカテリーナ2世の手に渡っている。
次いで1758年12月にはオーストリア皇后マリア・テレジアに「緑のリボン」模様のセットが贈られている。これは同盟強化のために贈られたもので、ゴンドラを形どって作られた容器は完全オリジナルで同じものは他にないそうだ。185点からなるセットに、後に更に154点が追加された。
1760年には、プファルツ選定侯カール・テオドールに贈られたのは、122点のセットと55点の素焼きの食卓飾り用人形。こちらは地色が施されておらず、前者2者に贈られたものより簡素な印象。
1773年、マリア・テレジアの娘でナポリ王妃マリア・カロリーナに贈られたセットは彼女のイニシャルCとLを組み合わせたものが描かれ、華やかで愛らしいものだ。
1784年6月にスウェーデン王グスタフ3世が、ハーグ伯という偽名でパリにおしのび旅行に来た時、ルイ16世はマリー・アントワネットがテュイルリー宮で使うために発注したものを彼に贈っている。マリーアントワネットの為にまったく同じものが再度発注され、今回展示されているのは、蓋付鉢はマリーアントワネットのセットのもので、受け皿は、グスタフ3世に贈られたものとのこと。当時は国王が身分を隠しておしのび旅行で他国を訪問する事が結構あったそうだ。身分を明かして旅行すると、いろいろ儀礼的な行事を行わなければならないので双方面倒だからということらしい。1784年にはプロイセン公ハインリッヒもおしのびでやってきて132点の食器セットを贈られている。
こうした食器セットはどのように使われたのか?
現在、フランス料理のコースは料理が一皿一皿順番に個人にサービスされるが、これはロシア式。ナポレオンがフランスに取り入れたもので、それ以前はフランス式のサービス方法がとられていた。どんな方法かと言うと、3から8コースのコースから構成され、一つのコースごとに料理の皿がいっぺんに並べられ、会食者は自分で好きなものを前の皿から取り分けて食べる。一つのコースが約15分、コースごとに料理はすべて取り換えられるというもの。一人一人にサービス役が付き、飲み物はテーブルに置かれず、給仕係がその都度サービスするという方法だったそうだ。うかうかしていると、目当ての料理を食べる前に片づけられてしまうのか!
セーブルで製造された磁器には製造年や関わった職人のイニシャルなどが裏に書かれていて、そういったものと、残っている資料でかなり来歴がはっきりするらしい。
質疑応答の中で出たエピソードがなかなか面白かった。ルイ15世はセーブル焼の製品を毎年12月~1月に王の居室で展示即売会を開いて売ったそうだ。セーブルの売り上げの約半分がこの展示即売会でのものだったという。王様の寵愛を得るためには、セーブル焼きを買わなければいけなかったのだろうか?
各国に贈られた食器セットの多くは散逸してしまっているものも多いそうだ。ルーブル美術館も完全なセットは持っていないのだろう。以前エカテリーナ2世の食器コレクションの展示を見たことがあるが、美しい食器がテーブルに並べられる様はなかなかに迫力がある。外交というのは、軍事的な力関係だけではなく、美しく洗練された文化の力関係も重要だった時代である。その意味では、セーブル焼き美しさはフランスの国力を示す大きなアイテムだった事には間違いないだろう。
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