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講演会参加記録帖
No.
2024/09/29 (Sun) 02:26:18

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No.26
2010/05/29 (Sat) 23:10:55

講演日 2010年5月29日(土)14:00~15:30
講演者 シルヴィ・パトリ氏 展覧会監修者 オルセー美術館学芸員
会 場 国立新美術館 講堂 
費 用 無料(要半券)

オルセー美術館展2010「ポスト印象派」の記念講演です。

今回はインテリアコーディネーターをしている大学時代の友人と一緒に参加。新国立美術館の講堂の白い椅子が一脚5万もするものだと教えてもらってまずびっくり。この椅子、デザイン的にはいいんでしょうけど、固くてテーブルも付いていないし、講演会用にはあんまり良くないと思っていたので、その値段にびっくりいたしました。おまけに椅子の並べ方がよろしくないといちゃもんをつける友人。友人の前に座ったのがとても体の大きな人だったので、友人からスクリーンが非常に見え難かったのです。これも椅子を少しずらして互い違いにすれば解決することなのに!だそうだ。なるほど、言われてみればその通りだ。今度講演会に行ったらアンケートに書いてみよう。

私は比較的古い時代の絵画が好きなので、19世紀以降の絵画についてはよく知らない。19世紀絵画ではルノワールを偏愛しているが、他はさほどでもない。今回の展覧会で大きく取り上げられている「ナビ派」についてはほとんどわからない。モーリス・ドニやピエール・ボナールは知っていたけれど、彼らが「ナビ派」と言われる
集団を作っていたことを知らなかった。お粗末なものだ。それだけに今回の講演はなかなか興味深く聞けた。

講演者は中年と言うには少し早すぎるくらいの女性。栗色の髪のなかなか気の強そうな美人さん。(それがどうした?と言われそうだが・・・)オルセーではナビ派周辺が御専門だそうです。同時通訳者さんが隣についての講演です。

講演は、ナビ派の画家たちが1900年以降急速に忘れ去られ、1960年以降再発見・再評価がされることになっていった経緯等についてだったのですが、話を聞いていると、そもそもこのナビ派という言葉自体が出てきたのが1940年代だというんですね。

普通、~派と名前がつけられる場合、その集団外の人間が名づけるものだが、ナビ派の場合はその集団に属する画家たちが自分たちで「ナビ」=ヘブライ語で預言者という名前をつけたのだそうだ。うーん、この辺からちょっとナルシスティックなにおいがする。

ナビ派は、当初はパリのアカデミー・ジュリアン(私立の画塾の一つ)に通う若い画家グループだったとか。モーリス・ドニやエドゥアール・ヴュイヤールはコンドルセ高等学校(パリの名門高校)の出身者でかなりのインテリ。そういう彼らが17・8歳で出会っていわゆる「芸術家生活」っていうものにあこがれて兄弟会みたいなものを作ったっていうんですね。内輪で自分達のことを「ナビ」と呼んで、自分たちの集まるところを「神殿」自分たちの奥さんを「神殿の光」と呼んでいたって・・・・。どうも話を聞いていると、現在の同人サークルのノリにしか思えない。集まっては自分たちが「イコン」(聖画っていう意味ですが)と呼んだ実験的な小さな作品を持ち寄っていろいろ批評会なんかしたらしい。(今回の展覧会にも出品されています)

結局ナビ派を構成した画家たちはやがてこの同人会みたいなところから独立というか、それぞれの進みたい方向へいったということらしいです。(途中眠くなってしまってこの辺はあいまい・・・)

それにしても、画面の平面化とか強い装飾性って、日本人の感覚では全然違和感ないように思うのですが、どうも西洋人からするとものすごく革新的なものに感じてたんですね。その辺の感覚がちょっと不思議です。ナビ派は日本の浮世絵などに強い影響を受けてるそうなんですが、当時の日本人は一生懸命西洋絵画を学んでたりするのですよ。やっぱり自分にないものに強くひかれるっていうのは仕方ないことなんでしょうか?

講演が終わった後、質問を受けてくださるということでしたが、今回、あまりにバカな質問しか浮かばなかったので手を上げるのはやめておきました。

講演者の方が、「アカデミー・ジュリアンで生きたモデルを使って描いたり・・・」という言い方をしていたのですよ。こういういい方をするということは、生きたモデルを使わないで描く方が普通だったってこと?って疑問に思ったのです。どうなんでしょうねえ?でもこんな質問あまりにおバカですよねえ。そうこうしているうちに他の方が手を挙げたらしくて、質問しだしたのです。

「時間もないでしょうから手短に」と最初に自分で言っておいて、長い質問、それも超専門的。どこかで聞いた声だなあ・・・と思ったら、東大の三浦篤先生でした。その次に質問した方は日本人なのになぜかフランス語で質問。通訳者さん、質問者の質問を訳してくださらないから、何を質問されたのかわからず、講演者の方の答えだけを訳されても・・・・・。

専門家さんは後で直でご質問なさった方がいいんじゃないだろうか?と思ったのは私だけではなかったと思います。講演者さんが三浦先生の質問に対して「私は全くそうは思いません!」と言ったのはびっくり。お国柄を感じました。

今回の同時通訳者さんはとても上手で聞きやすかったです。こういう同時通訳式の講演会は通訳者さん力量によっても聞きやすさが違うものです。




















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No.25
2010/03/14 (Sun) 21:45:47

参加日 2010年3月14日(日)
会 場 国立西洋美術館
開催日 開館している日曜日 15:00~約50分間 定員15名
      ボランティアスタッフによる国立西洋美術館建物の探検ツアー

企画展を見に行ったらちょうど入口に告知板が設置してあって面白いから参加してみようということになりました。国立西洋美術館の建物は、フランスの建築家(スイスの時計生産で有名なラ・ショー=ド=フォンの生まれ後にフランスに帰化)の設計によるものです。日本ではもちろん唯一、アジア地域でも他にはインドに2か所あるだけという希少なもの。世界遺産に登録しようとがんばっているらしい。その建物をボランティア・ガイドの方とめぐるツアーです。

今日の参加者は9名ほど。明るく元気な女性ガイドさんについて、まずは正面玄関の前からツアーが始まりました。
この建物基本設計はル・コルヴィジェなのだけれど、彼は外観デザインとか基本プランだけやって、実際に必要な設備についてはどうもおざなりだったらしい。館長室のトイレは設計に入っていたけれど、来館者用のトイレが設計に入っていなかったのだとか。おいおい、それじゃあ困るじゃないの!!この建物、実際に構造や施工管理を担当したのは、ル・コルヴィジェの3人の日本人のお弟子さんたちだったそうです。先生のある意味構想のみの設計から、実際に使える建物として調整したんでしょうねえ・・・。苦肉の策としてここのトイレは地下にあります。バリアフリートイレは何年か前に1Fに新設されました。

ル・コルヴィジェの提唱したモデュロール(人体を基本とした基本尺度みたいなもの)の説明や、国立西洋美術館の前に立つ三人のお弟子さんの一人が設計した東京文化会館建物との相関関係とかの説明を受け再び建物内へ移動しました。常設展示場の最初の部屋が、建物の中央に当たる位置になるのですが、ここで建物模型を見ながら、ル・コルヴィジェの建築基本構想について説明を受けました。真四角な建物は、収蔵品等が増えた場合どんどんカタツムリの殻が成長していくように外側に拡張できるように設計がされているとの事。真四角の対角線がちょうど南北にあうように建てられているそうです。明りとりの窓が中央にあり、19世紀広場と名付けられた第一室には自然光が入るようになってるそうです。もともと彫刻作品の展示スペースとして考えられたから、自然光が入ってもOKっということだったらしい。通常作品保護のため、日光は入れないものなんですけどねえ。その辺がとっても大雑把。さすがに今は紫外線対策はばっちりされているそうですが・・・。
ここから2階に上がるにはスロープになっているのですが、私はてっきりここはバリアフリーのためと思っていたのですが、そうじゃなくて、一階の彫刻作品をのぼりながら楽しんだり、建築の後ろ向きに進みながら見てもいいようにってことだったらしいです。途中階段も設置されているのですが、これは緊急用ってことで普段は使わないそうです。2階展示場に上がって、下で説明を受けたモデュロールについて、実際の物を見て説明をうけました。
展示室には3階に上がる狭い階段があるのは知っていたんですが、使われていないんです。なぜ使われないのか?なんと、幅が70センチしかないので建築法上使えないんですって。おいおい、ル・コルヴィジェさん、使えない階段くっつけてどうするんですか?さらにびっくりしたのは、50年前の開館当時、この美術館には空調が無かった!高温多湿の日本で、空調が無かったらいったいどうなるんだ?さらに、収蔵倉庫が一階の南東部分に置かれていたりと、本当に美術館って目的を理解して設計なさいましたか?っていうものだったんだそうです。それでも、日本人はこの建物の不都合な部分を手直ししながら使い続けて、耐震構造も施して、守っていこうとしてるんですねえ。なんだか、いじましいくらい努力してる。
インドにある2つの建物はすでに荒れてしまっているそうだけれど国立西洋美術館は今日も大勢のお客さんを迎え入れていました。なんだか、日本人の物を大事にしていこうという心意気を感じましたねえ。
この建物を世界遺産に登録しようと運動しているようですが、原型からだいぶ変わってしまっているから、登録を見送られてしまったとのこと。しかしねえ、美術館にふさわしい設備を備えさせるために改修するしかなかったのも事実。原型に戻したら、美術館としては使えなくなるでしょうし・・・・。
近代建築の巨匠の設計が、こんなものだったのか!と目からうろこと同時に、日本人ってやっぱり律儀なんだなあと感じた50分でした。
 

No.24
2010/01/16 (Sat) 22:59:56

講演日 2010年1月16日(土)14:00~16:00
講演者 岡田温司 京都大学大学院教授
会 場 東京都美術館 講堂

岡田温司氏の講演を聞くのは初めて。13時からのチケット配布に12時半から並んで、ひと桁台の整理券をゲット。ベストポジションの席を確保しました。240席の講堂は満席でした。やはりイタリア物は人気が高いです。

講演のタイトルから、ボルゲーゼ美術館の元となる作品を集めた人の話だろうか?と思っていたら、まったく違う話でした。

まず登場した岡田氏のスタイルにびっくり!忌野清志郎かと思っちゃいました。だって細身の体にぴちぴちぽい背広。頭が黄色いんです。目玉がぎょろんとしたどう見ても学者っぽくない人です。50代半ばと思われますが、お声もちょっと甲高い感じで一人のりつっこみ状態。始めっから最後までハイテンションでした。最近はこの手の講演会の時にはパソコン操作で画像を表示するのですが、どうも機械操作は苦手なご様子です。パワーポイントなんてソフトはお使いになれないのでしょう。せっせとホワイトボードに手書きされてました。なんだか、大学の大教室にいるような、そんな感じでとてもリラックスした雰囲気でした。

肝心の講演の内容は、なかなか興味深かったです。いろいろ講演会を聞きに行って感じたのは、学者さんというのは、こういう講演をなさる時に、まず自分はこれからこういう話をします、ときちんと範囲を設定なさるんですね。

今回の演題「作者を捜せ!ボルゲーゼ美術館と二人の目利き」の二人の目利きとは誰かというところから、始まります。19世紀後半ボルゲーゼ枢機卿のコレクションをもとにボルゲーゼ美術館が作られたときに、コレクションに含まれる作品の由来や帰属をはっきりさせましょうということになったそうです。その時活躍した、ジョバンニ・モレッリ(1818-1891)という美術鑑定家と、その次世代ロベルト・ロンギ(1890-1970)という美術史家が絵画作品をどのように鑑定し、特定の作家に作品を帰属させていったかということについて話が進んいきます。

モレッリはもともとは医師で、特に解剖学を学んでいて、絵画の鑑定をする際に、手や耳のように細部の画家が無意識に出してしまう癖のようなものを参考にするという「モレッリ方式」という鑑定術をつくりました。絵画作品の帰属について論文を発表し、美術界に新風を吹き込んだということですが、これは、18世紀から科学の近代化し、19世紀にさらに体系化されていったことと関係づけられるようです。いくつかのモレッリによる作品の帰属の例をあげて、モレッリの鑑定について興味深いお話を聞くことができました。モレッリの鑑定が、自分が標榜した鑑定法のみに依拠してされたものではないというところも面白かったです。

次いで、ロベルト・ロンギの鑑定法についてのモレッリとの比較対照がなされ、絵画作品の帰属を決める様々な視点についてのお話がありました。特に画家の初期作品の鑑定についてのお話が面白かったです。

結論的には、絵画の鑑定というものが、警察が行う鑑定(犯人探し)と相通じるものがあり、19世紀末から20世紀初頭の鑑識法の進歩と連動しているというところに行きつきました。

お話のあと、質問タイムが設けられ、いくつかの質問が出ました。

19世紀末から20世紀初頭になぜ、絵画の鑑定が盛んに行われるようになったのか?とい質問に対して、やはり近代国家の成立と国家の威信というものが関係するとのお答えでした。要するに、文化財の価値を国家がちゃんと値踏みしたいという需要があったということなんですね。オランダは今も国家をあげてレンブラントの作品調査をしているんだそうです。名もない画家の作品とされるのか、レンブラントの作品とされるのかでは、財産価値がまるで違うって事なんでしょう。なんだか、鑑定の世界は生臭いですねえ。

モレッリ方式は画家が無意識のうちに癖を出してしまう耳の形や指先に注目して鑑定するといっても、肖像画などでは、モデルの個性を写すものだから、そういう場合は意味をなさないのではないか?という質問に対しては、モレッリは、おもに神話画のようなものしか鑑定していないとのお答え。要するに得意分野限定だったということですね。

王侯貴族の個人コレクションの時代は、作品の帰属も比較的おおらかだったのに、近代国家になると、国の威信をかけてはっきりさせなくちゃってなるところが面白いですね。まあ、そのおかげで、美術史の流れがより深く理解できるっていうことですから・・・・。

とてもお話が面白かったので、記念にカタログの先生の論文のところにサインをもらってしまいました。また機会があったらぜひお話を聞いてみたいものです。
No.23
2009/11/22 (Sun) 22:17:53

講演日 2009年11月22日(日)
会 場 東京芸術劇場展示ギャラリー(5階)
    14:00~16:30
講演者 近江吉明(専修大学文学部教授)
      1789年の陳情書の世界
      小井高志(立教大学文学部教授)
      マリー・アントワネットの最期


講演に先立ち、専修大学図書館の方から、ミッシェル・ベルンシュタイン文庫についての簡単な紹介があり、そのあと、最初の講演者である近江吉明教授が紹介されました。
あれ?どこかで見たことあるお顔だわ・・・と記憶をたどってみたら、2年前専修大で開かれたシンポジウムの会場で、ベルンシュタイン文庫資料を検索する端末操作を教えてくださった親切な方でした。まあ・・・・、教授様でいらしたのですね。きれいに整えられた口ひげと顎鬚が素敵な方です。還暦を迎えられたとおっしゃっていましたが、若々しくてとてもそんな風に見えないです。

世界的にも貴重なベルンシュタイン文庫の資料を研究していると、穴蔵みたいな収蔵庫にこもって仕事をするので、今日みたいに明るいところで講演ができてうれしいとおっしゃるその様子が、やんちゃな男の子みたいです。大好きなことを仕事にすると、苦労も苦労じゃないんでしょう。素人でも分かりやすいように噛み砕いてお話くださり、最後まで楽しく聞くことができました。

テーマは、ミシェル・ベルンシュタイン文庫に含まれている全国三部会開催に伴う第三身分の最終陳情書がどのような過程を経て作成されていったか、またその過程からフランス革命の実像に迫るというもの。
MB文庫の中には陳情書の資料が多数含まれているが、手書きのものが含まれており、それはまさにフランスにもないオリジナル資料で非常に価値が高いとのこと。フランス革命というと、「市民革命」と認識されているが、地方の農民や職人たちがどんな認識でいたのかを、陳情書を丁寧に読んでいくことで知ることができるとのこと。

第3身分の陳情書は、小さな地区から陳情書を代表が持ちより、その代表がさらに第二次の陳情書を作り代表を決定、最終的にバイイ・セネシャル(郡のような地区のことか?)単位で最終陳情書と代表がきまり、ベルサイユに赴いたそうだ。

その過程で、どのように陳情の内容が集約され、変化したか。それを具体的な例をあげて解説してくださったのだが、これが非常に興味深かった。小さな地区から出された陳情書は、税の重圧や不作による生活の困窮などを具体的に上げ、その改善を切望する素朴で現実的なものだったのが、二次・三次の集会を経る間に、生活感や具体性が消えていき、整理され、抽象化した要求項目の羅列へと変化していく。この変化がパリと地方のかい離を産み、民衆蜂起の騒乱へとつながっていく。自分たちの生活が改善されることを願う人々と、人権宣言などに代表される近代精神の確立を目指す層の望みは、時に対立するものでさえある。マスメディアの発達による情報伝達が人々をパニックに陥れ、農民蜂起を誘発する様などは、今までのフランス革命観を変えていく。

講演を聞きながら、ふと、沖縄の基地移転問題の事が頭に浮かんだ。実際に基地の騒音などに悩まされている沖縄の人々の願いと、国会や内閣の思惑のズレ。生活者の感覚と為政者の思惑。フランス革命での出来事は今も起きていることかもしれないとふと思ったりした。

歴史の評価も時代とともに変化していく。フランス革命に対する認識も、今後資料が読み解かれていくうちに変わっていくのかも知れない。

近江氏の講演の後、休憩時間に図書館職員の山岸拓郎氏が今回の展示品の丁寧な解説をしてくださいました。

小井高志氏(立教大学文学部教授)の講演テーマは、マリー・アントワネットの最期。マリー・アントワネットが日本の漆器コレクターだったことや、メディアによって、彼女が実像とはかけ離れた「モンスター」として喧伝されることによって、その悲劇的最期を迎えることになった様子などを紹介してくださいました。
メディアがもつ力の功罪をしみじみ感じました。

以前から思っていたのですけど、もし、ルイ16世が普通の王様のように、公的寵妃を持っていたならばマリー・アントワネットは悲劇の女王にならなかったかもしれない。ルイ16世は無能というより、むしろ知的でものがわかりすぎていて、八方塞がりの状況に優先順位をつけることができなかったんじゃないだろうか。
18世紀を知れば知るほど、あらゆるものがダイナミックに変化していった時代なんですよね。もしかすると現代社会の困難さを解決するためには、18世紀の歴史をもう一度常識にとらわれず見直していくことが有益なんじゃないかと思ったりします。

講演会は80名定員でしたが、70名くらいの参加者でした。大学の学生さんと研究者さん、意外にご夫婦連れなんて方もいらっしゃいました。
お土産に、展示品図録やクリアファイル、カレンダーなどもいただいて、専修大学さん太っ腹~!!でございました。




 

No.22
2009/11/15 (Sun) 22:12:47

講演日 2009年11月15日(日)13:00~18:00
講演者 アンリ・ゼネール ハーバード大学教授
      セゴレーヌ・ル・メン 西パリ大学 ラ・デファンス ナンテール校教授
      佐藤康宏 東京大学大学院人文社会系研究科教授    
      三浦篤   東京大学大学院人文社会系研究科教授
              近藤学   UTCP特任研究員 東京大学大学院 


会 場 東京大学 駒場キャンパス 数理科学研究科棟 地階大講義室
費 用 無料 事前登録不要 フランス語同時通訳つき

18世紀フランスの建築家ルドゥーをネットで調べていたら、このシンポジウムを紹介しているサイトがヒットしたんです。三浦篤先生の講演を何度か聞いていて、とても面白かったので会社の同僚エリさんを誘って出かけることにしました。エリさんも大学で美術史を専攻されていた方なので、話が合うんです。それに、東京大学がどんなところかちょっと見てみたかったっていうのもあります。

京王井の頭線駒場東大前駅徒歩30秒で駒場キャンパス正門に到着。話には聞いていましたけど、本当に目の前でしたねえ。エリさんが一高碑(嗚呼玉杯之碑)を見たいというので、正門の守衛さんに場所を確認して見に行きました。日曜日なのに、学生さんがたくさんいて、あちこちに腰掛けています。何をしているかと思えば一様に本を読んでいるんですよ。はあ~、東大生って本当に勉強好きなんですねえ・・・・。碑のそばにあったカフェテラスでお茶を飲んで、いざ会場へ。

30分前に会場に行ったら一番乗りになってしまいました。同時通訳用のレシーバーを受け取るのに、名前や所属・メルアド・電話番号を書くように指示されました。「一般人なんですけど、どう書けばよろしいですか?」とたずねたら、きれいな受付のお譲さんが「一般で結構ですよ」と優しく答えてくださいました。レシーバーを受け取って、会場へ。エリさんとおしゃべりしながら始まるのを待っていたのですが、開始時間10分前でも50人ぐらいしか聴講者がいなくて、あらもったいないと思ったんです。でも、最初の休憩のころには100人以上にはなっていました。いったい何時はいってきたんでしょうねえ。

最初にシンポジウムの趣旨説明を三浦先生がなさって、予定時間より少し遅れていたので、すぐに最初の講演者の講演が始まりました。

アンリ・ゼネール ハーバード大学教授 の講演テーマはアングル作≪『アエネイス』を読むウェルギリウス≫絵画と版画の交錯による構図の進展というもの。 フランス語による講演で同時通訳なんですけど、通訳者さん不慣れなのか、版画と彫刻の区別がちょっと曖昧で論点がよくわからなかったです。当時この≪『アエネイス』を読むウェルギリウス≫というのは人気の画題だったということと、アングルがこの作品を描くのにものすごくデッサンを重ねていたっていうのはわかりましたけど・・・・。己の理解力不足にちょっと凹みました・・・・。

 佐藤康宏 東京大学大学院人文社会系研究科教授 の講演テーマは18世紀の京都の画家たちー複製技術時代の絵画というもの。これはとても面白かったです。木版による画譜の出版が画家たちにどんな影響を与えたかというもの。日本語での講演ですからばっちりです。なんと映像資料はスライドを使用。今どき珍しい~。
画譜の出版が盛んになったことにより、絵を描く人にとっては様々な画題やその描き方を知ることができるようになったけれど、そのせいで、オリジナリティとはなにかという問題が突きつけられるようになってしまったとのこと。その一つの解決策として、その場で描く今でいうところのアクションペイントみたいなことをやったりしたというので、その例を版画作品と並べて解説。版画から得たヒントからさらにデフォルメしたり変形したりとしたことオリジナル性を構築した例を若沖の作品で示して下さったり、面白かったです。

休憩をはさんで、第2部へ。

セゴレーヌ・ル・メン 西パリ大学 ラ・デファンス ナンテール校教授の講演テーマはクールベ、芸術生成の諸問題。「傷ついた男」を取り上げ、この作品の背景として、当時の大衆版画の影響と、大衆版画の題材として広く流布していたバビロンを舞台にした純愛悲恋物語の「ピラモスとチスベ」の物語の表現の影響をあげていました。クールベの自画像でもある「傷ついた男」、この絵の下には女性と肩を寄せ合う絵があるのだとか。フランス語がわからないし、通訳さんもなんとなく舌足らずな感じだったので、やっぱりちょっと消化不良気味。

三浦篤   東京大学大学院人文社会系研究科教授の講演テーマは、エドゥアール・モネと<タブロー>の脱構築 断片化と筆触 。三浦先生のお話は、素人でも分かりやすいというか、テーマが最初にはっきり示されるので聞きやすいです。マネの「オペラ座の仮面舞踏会」とその習作とされていたブリジストン美術館蔵の「オペラ座の仮面舞踏会」が実はマネの画面の断片化に向かう取り組みと、画面を筆触によって表現する方向への取り組みの対作品となるものではないかという新しい位置づけをされている。いろいろな例をあげて論を展開されていて、とても納得ができたし、興味深かったです。三浦先生の話はやっぱり面白いですねえ。

近藤学   UTCP特任研究員 東京大学大学院 の講演のテーマはアンリ・マティスの油彩における作品生成過程(1913-16)というもの。どうやら、最初に講演をなさったアンリ・ゼルネール氏に評価をしてもらう手はずになっているのか、フランス語による発表でした。申し訳ないけれど、マティスはあまり興味ないので、ぼ~としながら聞いていて、内容はちっともよくわかりませんでした。キュビズムはあんまり好みじゃないしなあ・・・・。一生懸命お話しされたのに、ごめんなさい。

第3部は「絵画生成論の新たなる地平に向かって」というテーマで全体討議の予定だったのですが、エリさんがタイムリミットとなり、聞くのを断念。

それでも、3時間以上も濃ーいお話を聞いたので、十分満足できました。
頭の整理はついていないのだけれども、絵を見るときの新しい視点を教えてもらったと思います。またチャンスがあったら参加したいものですね。なんといっても「ただ」というのがありがたいですね♪

18日(水)18:00-20:00同じく東京大学駒場キャンパス18号館ホールでアンリ・ゼルネール氏による「ジャン・フーケはいかにして「フランスの画家」となったか」という講演があるそうです。事前登録不要。フランス語同時通訳付き これも聞きたい・・・・・。でも仕事が・・・・・。あああああああ・・・
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