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講演会参加記録帖
No.
2024/09/29 (Sun) 02:26:58

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No.16
2009/07/20 (Mon) 20:01:55

講演日 2009年7月18日(土)19日(日)16:00~20:00
講 師 横浜美術館学芸員 4名
会 場 横浜美術館8階
参加費 2日間で12,000円 カタログ・無料チケット2枚付

展覧会、講演会、そして今回の講座参加とどっぷり19世紀絵画に浸ってまいりました。今回の講座には娘と一緒に参加しました。高校2年生の娘はそろそろ進路について方向性を決めなけれならない時期です。漠然と美術関係の勉強をしたいと言っていたので、いい刺激になるかなあと誘ったら、珍しく乗り気。二人で仲良く机を並べてお勉強と相成りました。

2日間で、合計8時間かけて開催中の「フランス絵画の19世紀」展の狙いとその開催意義、作品の描かれた時代背景、作品の主題や技法の変遷などについて、スライドを使った座学とギャラリーで実際の作品を前にしての解説を聞くという、非常に内容の濃いプログラムでした。

タイムテーブルは下記の通り

第1日目

16:00~16:05  挨拶と予定説明
16:05~17:10  展覧会概要 スライドレクチャー
展示室へ移動
17:20~18:00  アカデミスムの基盤とロマン主義の登場 ギャラリートーク
18:00~18:20  自由鑑賞 休憩
18:20~19:00  農民画の系譜 ギャラリートーク
スタディールームへ移動
19:10~19:50  展覧会の準備と展示 スライドレクチャー
19:50~20:00  アンケート記入と質疑応答

第2日目

16:00~16:40  絵画ジャンルと主題 スライドレクチャー
展示室へ移動
14:50~17:30  女神とヌード ギャラリートーク
17:30~18:00  自由鑑賞 休憩
18:00~18:30  ラファエル・コランを中心に  ギャラリートーク
スタディールームへ移動
18:40~19:40  フランス・アカデミスム絵画と日本近代の画家達 スライドレクチャー
19:40~20:00  アンケート記入と質疑応答

タイムテーブルを見るだけでも、ぎっちり中身が詰まっているのがお分かりいただけるでしょう。
いや~!!実に楽しかったです。大学の講義を思い出しました。娘にはちょっと難しすぎたかな?と思いましたけれど、ノートをしっかりとって、非常に楽しそうに聞いていました。やはり、興味がある分野の勉強なら意欲が湧くのですね!いろいろ話をしていくうちに意外な発見が。娘は印象派のような茫洋とした絵よりも、アカデミスム絵画のようなきっちりとした絵の方が好きなのだとか。私は勿論整ったデッサンの絵も好きだけれど、ルノワールやマネの絵のような光の中に溶けていってしまいそうな絵も好きです。娘は印象派よりも現代アートとかの方に親しみを感じるタイプかも。親子でもやはり感性や嗜好は違うものだなあと感じました。

勿論、作品解説は面白かったのですが、今回とても勉強になったのは、美術展の企画から開催までの裏話が聞けたことです。展覧会の企画を立て、作品の借り出しを行い、運搬し、会場を作って展示する。その流れに付随し様々な作業と業務があることを知ることができて、とても面白かったです。鑑賞者の立場からでは見えない裏側にいろんな苦労があること、たくさんの人々が関っていること、また予算その他の様々なせめぎあいなど、非常に興味深かったです。

今回の展示は大型作品が多かったので、展示に5日間もかかったそうです。そうですよね。印象派の作品なんてとってもコンパクト。アカデミスム絵画はとにかくでかい。一番重たいものは、額縁込で300キロもあるそうです。運搬用の箱は作品より更に大きいわけで、会期中の保管が大変な事になっているそうです。

今回この展覧会を担当された4人の学芸員さんがお話をしてくださいましたが、中心となっていた方はさすがにお話もお上手。飽きさせませんでしたね。とっても恰幅の良い方なんですけど、歯切れのいい解説はさすが~!!もっと聞いてみたいと思わせますねえ。まだ20代後半と思われる一番若い女性は、まだ物慣れぬ感じで初々しかったです。中堅どころの男性は女神とヌードという観点で出品作品を解説してくださったのですが、題材が題材だけに、ハイテンションでしたねえ。日本近代洋画とフランスアカデミスム絵画の関係について話をしてくださった30代半ばと思われる女性は、なかなかしっかりとした構成の解説で、なるほど~とあまり知らなかった日本近代洋画をもっと見てみたいと思わせてくださいました。


昔は学芸員になりたかったんです。実際博物館学芸員の資格も持っています。しかし、旦那と知り合って、仕事の夢より、恋愛の夢を選んじゃったんですよね。ああ~!!若かった私って、お馬鹿だったわ。でも、人生は後戻りは出来ません。今までの人生は苦労もあったけれど、それはそれで楽しく有意義だったのです。子供も手がかからなくなったし、息子はともかく、娘は美術に興味を持ち、そっち方面の勉強をしたいと言っているし。

これからいくらでも学べるじゃないの~!!探せばこういった企画はいくらでも見つかりそう。
これからも、がんばって稼いで、好きなことを追求するぞ~!!

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No.15
2009/07/05 (Sun) 22:59:32

講演日 2009年7月5日(日)15:00~16:30
講 師 三浦 篤 東京大学教授
会 場 横浜美術館レクチャーホール 先着240名 無料

フランス絵画の19世紀展記念講演の2回目。前回6月21日の講演を踏まえ、19世紀後半の近代絵画と誕生とアカデミスム絵画の関係について三浦篤氏が熱く語ってくださいました。天気が悪くなかったせいか、前回よりも聴講者は多かったです。全席埋まったわけではなかったけれど、8割は入っていたように思います。

先ずは前回の講演のおさらいと言うことで、19世紀絵画を現在の視点で見るのではなく、19世紀の人々がどんな風にその時代の絵画をみていたのかに立ち返るところこそが、今回の展覧会の試みであるということを強調されていました。

1863年は近代絵画の誕生の年と言われている。この年のサロンは非常に審査が厳しく多数の落選者が出たため、救済策として?落選者のサロンが、サロン会場の隣に作られ、落選者の作品が展示された。その落選作品の中にマネの「草上の昼食」が出品されて、センセーションを巻き起こしたのである。
今回の展覧会には1863年のサロンで絶賛されたカバネルの《ヴィーナスの誕生》とボードリーの《真珠と波》が出品されている。当時の人々の感覚からすれば非常に理想化された美しいヌードの方が本筋であり、マネの作品は前者を評価する感覚からしたら、「なんだこの変な絵は??」となる。印象派以降の絵画作品に慣れ親しみ、芸術というのは画家の感性の表出そのものであると思っている者にとっては、逆にカバネルやボードリーの作品がただきれいなだけと思われるかもしれない。
しかし、前者と後者では根底にある美意識が全然違う。それを同列に扱うことに無理がある。19世紀の画壇ではアカデミスムが圧倒的主流であったのであるが、時代の流れはアカデミスムの伝統をそのまま踏襲することが不可能になってくる。印象派に始まる前衛的な流れとアカデミスムは双方に影響を与えつつ変化していく。
それは、産業革命後の世界の変化と呼応するものであるだろう。社会の価値観が多様になっていくにつれ、絵画をめぐる審美眼そのものも多様化していくのは避けられないことだったのだろう。

アカデミスム絵画は歴史画を中心としたドラマティックな人間像を描くことに注力してきたわけだが、映画や写真の発明は、歴史画が担っていたものをより発展させた形での表現を可能にしてしまったと三浦氏は指摘する。

初期の映画映像をみると絵画作品の画面構成をそのまま流用したようなものを多く見ることができる。名画の構図をそのまま取り入れたような写真作品も多々ある。そうなってくると、絵画の表現が絵画でしか表しえないものを求めて変化していくのは当然の動きだったのかもしれない。そういったものが20世紀絵画の流れを形作っていくことになるのだろう。

また、写真技術や印刷技術の発達が、絵画的表現の場を飛躍的に広げていく。絵葉書やポスターなどが人々の生活の中に浸透していく。それらの表現の中にも、実はアカデミスム絵画の伝統が見られるのである。
ただ、それらは大衆化され、人々の生活と親和的なものを題材に展開されていく。

日本の近代洋画とフランス・アカデミスムの関係にもついても三浦氏は言及している。
19世紀末に日本近代洋画家たちはパリでアカデミスムの画家達に師事し、その技法を学んでいる。ジャポニズムがもてはやされ印象派たちは日本の芸術に新しい手法を求めたその時代に、日本人がアカデミスム絵画を学んでいるというのが面白い。

2回にわたる講演のまとめとして、今回の展覧会では、19世紀フランス絵画の全体像をしり、二つの美意識(伝統と近代、保守と革新)のダイナミックで繊細な関係を複眼的に見て欲しいと力説していた。

今回の展覧会では特に19世紀がテーマなので、そう主張されたのだろうが、時代が変化するとき、複数の美意識や価値観が混在するというのは、今までもこれからも変わらないだろう。音楽も文学も、少し時間が立つとその時代にはみえなかったものが見えてくるのかもしれない。じっさいそうして長い時代を超えて何度と無く再発見、再評価されてくる作品と言うものが存在するのだ。そう思うと、現代のいろいろなものも100年単位で年月を経ると、どんなものが残り、どんなものが忘れ去られるのか、興味深い。100年後、自分は生きていないから知りえないのだけれど。


以下、全くのいい加減な私見と感想
ロシアの指導者の交代劇を表現するのに、禿げと髭が交互になるというのがある。
絵画の画面処理は凸凹とつるつるが交互にやってくる。ルネッサンスのつるつるバロック・ロココの凸凹(控えめですけどね)新古典・アカデミスムのつるつる印象派の凸凹・・・・・
私としては、印象派の目線って、ロココの風俗画などが持っているものと似ていると思うのですよね。
大きなえらそうなものを描くのではなくて、身近にある何気ないものに興味が向いているかんじがするんですよね、女性のファッションに対する情熱とかも似ているし。

ロココを否定して新古典主義が台頭するわけで、その後を継ぐアカデミスム絵画からの脱却を目指すなら、その前のロココ的なものを取り入れてもおかしくないように思うのですよね。教条主義的じゃない、人間の快楽や感性を豊かに表したロココの風俗画を印象派の画家だって見ているはずだから。そのころルーブル美術館は公開されていただろうし・・・・・。印象派の人たちが、アカデミスム以前の絵画から影響を受けていたのかどうか
その辺をだれかに研究してもらいたいなあ・・・・・・。



No.14
2009/06/24 (Wed) 20:17:11

「ローマ賞」の栄光を浴することが出来るのは年に1人または2人だけ。では他の画家の卵たちはどうしたのだろうか?ローマ賞を逃した者達が次に己の栄達の為目指すのが「サロン展」である。詳しくはこちら⇒サロン・ド・パリ

現代では様々な方法で絵や彫刻が流通している。様々な公募展もあるし、批評雑誌もある。最近ではインターネット通販だって出来る。しかし、この時代、芸術アカデミーが開く「サロン展」がほとんど唯一の作品の発表の場であり、名声を得るチャンスだった。「サロン展」は社会的なイベントであり、会場には多くの人たちがつめかけ、そこでの評判が画家の将来を決めたといっても過言ではない。
フランス全土から1万点もの作品が集まり、一点一点審査され、最終的には3000点あまりが会場に展示される。まずはこの展示に残る事が目標となる。そして、賞を取ることができれば、注文もどんどん入ってきて、画家として成功したといえるようになるのである。サロン展で認められ入賞すると、国家が作品を買い上げてくれる。特に優れた作品はルーブル美術館に収蔵される。ルーブルに収蔵されるほどの作品でなければ、当時の現代美術館に相当するリュクサンブール美術館に収蔵される。(この場合、画家一人につき5点までと決まっていたそうだ。)リュクサンブール美術館に収蔵されなかった作品は、地方の美術館に送られ、そこに収蔵されることになっていた。才能は必ず中央から出てくるわけではない。地方の美術館に思いがけない有名画家の作品があったりするのは、画家本人が故郷の美術館に寄贈したりしているかららしい。

今回の展覧会も実に多くの美術館から作品が集められている。今は優れた芸術作品を集め一堂に展示する美術館の存在を当たり前のように思っているが、近代的な美術館の歴史は18世紀後半から始まったといってもいい。美術館の歴史をみると、中央が認めた文化を地方に浸透させるという、明確な意図を持って推し進められた政権戦略だったりすることがわかる。

それまで美術品を享受する層は特権階級である王侯貴族か、キリスト教会か、ごく一部の富裕なブルジョワ階級に過ぎなかった。階級制度の上層にいる人間達は自分達を権威付けるための絵画を必要としていたし、画家達も彼らの需要を満たさない限り、成功はなかったのである。「歴史画」とは、神話や聖書・歴史や文学から選ばれたテーマに沿って描き出される壮大なスペクタクルだったりしたのだ。そこで重要になるのは、しっかりとした遠近法による空間構成、確かなデッサン力に裏打ちされた人体描写、そして、的確な感情表現である。
No.13
2009/06/23 (Tue) 20:37:13

フランスなのに「ローマ賞」ってなんだか変ですよね。日本人にとってはヨーロッパのひとつの都市に過ぎないローマですが、キリスト教を信じる人々に取ったら、総本山バチカンがある特別な都市なんです。ヨーロッパの人々にとって、古代ギリシャやローマの文化が自分達の根っこにあるものだと思っている。そして、キリスト教化した後にはローマは聖地というわけです。だから、フランスもイギリスもドイツも引き寄せられるようにローマを目指すわけです。で、優れた文化芸術を自国に取り入れる為の拠点を、フランスはローマに作ったと言うわけ。ボルげーゼ庭園内にある、ヴィラ・メディチ荘に在ローマ・フランス・アカデミーが置かれている。現在も、ちゃんと同様のシステムが機能しているというから驚き!とにかく、優れた芸術家の卵たちが厳しい選別を勝ちぬき、ローマ賞を取ると奨学金が与えられ、フランスからローマへと送り込まれる。彼らはローマで研鑽を積み、本国に優れた文化を運ぶ、運び屋さんとなったのです。

ローマ賞全般についてはウィキペディアにあったのでこちらをどうぞ⇒ローマ賞
ローマ賞受賞者リストはこちらをどうぞ⇒英語版ローマ賞

さて、美術史を勉強すると、17世紀以降のフランスの著名な画家の生涯には必ずといっていいほど「ローマ賞」という言葉が出てくる。ローマ賞を受賞したというのもあるし、何度も挑戦したがついにだめだったとかいうのもある・・・。ダヴィッドみたいに、ローマ賞に続けて落選して、自殺を図ったという逸話をもつ人もいる。ローマ賞の目的が有望な若者にローマで研鑽を積ませ、フランスに優れた文化を持ち帰えらせるというものなので、チャレンジするにも制約があるのだ。毎年春に行われるコンクールに参加できるのは、30歳までのフランス人で独身男性でなければならない。カトリックでは、既婚者が単身赴任なんて不道徳なことは許さないので(結婚したら一緒にすまなきゃだめって言うのが常識だった。逆に別居を認めるということが、事実上の離婚に相当していたんですね~)、独身じゃなきゃだめだったんですね。30歳で受賞したら、35歳まで結婚出来ないということになりますね・・・・。ちょっとかわいそう。

コンクールは三次審査まである。一次審査は与えられたテーマから製作した小型の構想図エスキス(32.5cm×40.5cmぐらい)。ここで100人から20人にいっきにふるい落とされます。次にデッサン。一次のエスキスより大きなサイズのもので、彫像や男性モデルを使い、7時間×4回行われる。とにかく、ちゃんとした画家は男の裸体が上手く描けなきゃだめだった。今の私たちだと、裸婦ではなく、裸夫か?思うのだけれど、小文字でacademyと書いたら男性裸体画のことをいうのだそうだ。最終審査は与えられたテーマでの歴史画の製作。これが大変なんですよ。カンズメにされて、12時間以内に下絵を提出しなければならないのだ。そして、その下絵を72日間かけて仕上げるのだが、最初に提出した下絵とかけ離れた作品は失格となる。つまり12時間以内に、出されたテーマから構想を練り、完成までを見越した下絵を描かなきゃいけないのです。簡単なテーマだったらいいのですけど、聖書や神話、古典文学からランダムに選ばれてくるテーマなんですよ。事前にわかっていればテーマに相応しい場面とかをあらかじめ考えられますけどね、いきなり今回のテーマはこれって示されるのです。もしそのテーマを知らなかったらアウトです。優れた歴史画家になるには、聖書や神話、古典文学に精通し、与えられたテーマに相応しい画面構成を、短い時間で完成できる能力がなきゃいけなかったんですね。美しく見たものを写し取る技術だけではなく、物語を絵に構成する能力・・・・。本当に大変そうですね・・・・。

その3に続く
No.12
2009/06/23 (Tue) 00:49:03

講演日 2009年6月21日(日)15:00~16:30
講 師 三浦 篤 東京大学教授
会 場 横浜美術館レクチャーホール 先着240名 無料

この講演会の内容は私にとって、まさに宝の山、今まで知りたくてもなかなかわからなかったことを沢山教えていただけた。忘れっぽい自分の為にも出来るだけ記録しておきたいと思う。なので、複数回にわたってだらだら書く事になります。ご容赦下さいませ。


横浜美術館のレクチャーホールはとても立派ですわり心地のいい椅子だった。さすが横浜市はお金持ちだ。生憎の雨で、ホールにはちらほら空席があった。「19世紀フランス印象派について」という演題だったらもう少し席は埋まったかもしれない。
だいたい「歴史画」っていったいなに?と普通は思うだろう。近頃18世紀を中心としたフランス文化に興味があるからこそ、私は俄然興味を引かれたのだけれども。

三浦篤氏の講演を聞くのは2度目。前回は2008年国立西洋美術館でヴィーナス展の講演会だった。そのときも非常に話の上手い方だなあと思ったけれど、今回もさすがに上手いなあ~と感じいってしまった。難しいことを難しく言うのはある意味簡単なのだが、難しいことを平明に言うのはとても難しい。

講演はこの展覧会の意義の説明から始まった。日本において、19世紀絵画において印象派こそが主流派のように思われているが、実は、アカデミスム絵画こそ、19世紀当時は主流だったことは、ほとんど知られていない。19世紀当時に立ち戻り、アカデミスム絵画の豊かな流れのなかから印象派や近代画派が登場した事実を明らかにしようというとても意欲的な企画であることを三浦氏は熱く主張された。講演の前に展示を見ていたので、この三浦氏の主張が非常に良くわかり、思わず拍手したくなってしまった。

先ず、アカデミスム絵画を生み出したフランスの画家養成システムについて説明される。日本に同じような制度がないので、わかり難いのだが、フランスでは国が芸術家を国家予算で養成するという制度があるのだ。今でこそフランスは文化と芸術の国と思われているが、17世紀ぐらいにはイタリアに比べると田舎でダサい国だったのだ。フランスはイタリアに追いつけ追い越せとばかりに、国を挙げて文化振興政策をとった!
美術についても勿論のことである。(美術アカデミーの創設は1648年)今では絵の主題によって絵がランク付けされたりしないが、当時は「歴史画」が最上位ランクに置かれ「肖像画」「風景画」「風俗画」などより高級な絵画とされていた。それで、優れた画家というのは要するに優れた「歴史画」が描ける画家という事に等しかった。国家が養成するのは、まさに優れた「歴史画」家だったのだ。芸術の世界に厳然と階級があったというのは、何でもありの今からはちょっと想像が難しい。
とにかくも、19世紀当時の画家の栄光の道というのは次のようだった。
国立美術学校⇒ローマ賞受賞⇒ローマ留学5年間⇒サロン出品入賞⇒作品の国家買い上げ⇒国家からの作品注文⇒美術アカデミーの会員になる⇒美術界を牛耳る
この栄光のすごろくみたいのを登りきれた人はほんの一握りだったわけです。美術アカデミーの会員は僅かに14人。終身制だから、誰かが死ななきゃポストが空かない。長生きしたら恨まれそうですね。

その2に続く






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