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講演会参加記録帖
No.
2024/09/29 (Sun) 04:19:03

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No.12
2009/06/23 (Tue) 00:49:03

講演日 2009年6月21日(日)15:00~16:30
講 師 三浦 篤 東京大学教授
会 場 横浜美術館レクチャーホール 先着240名 無料

この講演会の内容は私にとって、まさに宝の山、今まで知りたくてもなかなかわからなかったことを沢山教えていただけた。忘れっぽい自分の為にも出来るだけ記録しておきたいと思う。なので、複数回にわたってだらだら書く事になります。ご容赦下さいませ。


横浜美術館のレクチャーホールはとても立派ですわり心地のいい椅子だった。さすが横浜市はお金持ちだ。生憎の雨で、ホールにはちらほら空席があった。「19世紀フランス印象派について」という演題だったらもう少し席は埋まったかもしれない。
だいたい「歴史画」っていったいなに?と普通は思うだろう。近頃18世紀を中心としたフランス文化に興味があるからこそ、私は俄然興味を引かれたのだけれども。

三浦篤氏の講演を聞くのは2度目。前回は2008年国立西洋美術館でヴィーナス展の講演会だった。そのときも非常に話の上手い方だなあと思ったけれど、今回もさすがに上手いなあ~と感じいってしまった。難しいことを難しく言うのはある意味簡単なのだが、難しいことを平明に言うのはとても難しい。

講演はこの展覧会の意義の説明から始まった。日本において、19世紀絵画において印象派こそが主流派のように思われているが、実は、アカデミスム絵画こそ、19世紀当時は主流だったことは、ほとんど知られていない。19世紀当時に立ち戻り、アカデミスム絵画の豊かな流れのなかから印象派や近代画派が登場した事実を明らかにしようというとても意欲的な企画であることを三浦氏は熱く主張された。講演の前に展示を見ていたので、この三浦氏の主張が非常に良くわかり、思わず拍手したくなってしまった。

先ず、アカデミスム絵画を生み出したフランスの画家養成システムについて説明される。日本に同じような制度がないので、わかり難いのだが、フランスでは国が芸術家を国家予算で養成するという制度があるのだ。今でこそフランスは文化と芸術の国と思われているが、17世紀ぐらいにはイタリアに比べると田舎でダサい国だったのだ。フランスはイタリアに追いつけ追い越せとばかりに、国を挙げて文化振興政策をとった!
美術についても勿論のことである。(美術アカデミーの創設は1648年)今では絵の主題によって絵がランク付けされたりしないが、当時は「歴史画」が最上位ランクに置かれ「肖像画」「風景画」「風俗画」などより高級な絵画とされていた。それで、優れた画家というのは要するに優れた「歴史画」が描ける画家という事に等しかった。国家が養成するのは、まさに優れた「歴史画」家だったのだ。芸術の世界に厳然と階級があったというのは、何でもありの今からはちょっと想像が難しい。
とにかくも、19世紀当時の画家の栄光の道というのは次のようだった。
国立美術学校⇒ローマ賞受賞⇒ローマ留学5年間⇒サロン出品入賞⇒作品の国家買い上げ⇒国家からの作品注文⇒美術アカデミーの会員になる⇒美術界を牛耳る
この栄光のすごろくみたいのを登りきれた人はほんの一握りだったわけです。美術アカデミーの会員は僅かに14人。終身制だから、誰かが死ななきゃポストが空かない。長生きしたら恨まれそうですね。

その2に続く






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