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講演会参加記録帖
No.
2024/12/28 (Sat) 23:57:02

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No.15
2009/07/05 (Sun) 22:59:32

講演日 2009年7月5日(日)15:00~16:30
講 師 三浦 篤 東京大学教授
会 場 横浜美術館レクチャーホール 先着240名 無料

フランス絵画の19世紀展記念講演の2回目。前回6月21日の講演を踏まえ、19世紀後半の近代絵画と誕生とアカデミスム絵画の関係について三浦篤氏が熱く語ってくださいました。天気が悪くなかったせいか、前回よりも聴講者は多かったです。全席埋まったわけではなかったけれど、8割は入っていたように思います。

先ずは前回の講演のおさらいと言うことで、19世紀絵画を現在の視点で見るのではなく、19世紀の人々がどんな風にその時代の絵画をみていたのかに立ち返るところこそが、今回の展覧会の試みであるということを強調されていました。

1863年は近代絵画の誕生の年と言われている。この年のサロンは非常に審査が厳しく多数の落選者が出たため、救済策として?落選者のサロンが、サロン会場の隣に作られ、落選者の作品が展示された。その落選作品の中にマネの「草上の昼食」が出品されて、センセーションを巻き起こしたのである。
今回の展覧会には1863年のサロンで絶賛されたカバネルの《ヴィーナスの誕生》とボードリーの《真珠と波》が出品されている。当時の人々の感覚からすれば非常に理想化された美しいヌードの方が本筋であり、マネの作品は前者を評価する感覚からしたら、「なんだこの変な絵は??」となる。印象派以降の絵画作品に慣れ親しみ、芸術というのは画家の感性の表出そのものであると思っている者にとっては、逆にカバネルやボードリーの作品がただきれいなだけと思われるかもしれない。
しかし、前者と後者では根底にある美意識が全然違う。それを同列に扱うことに無理がある。19世紀の画壇ではアカデミスムが圧倒的主流であったのであるが、時代の流れはアカデミスムの伝統をそのまま踏襲することが不可能になってくる。印象派に始まる前衛的な流れとアカデミスムは双方に影響を与えつつ変化していく。
それは、産業革命後の世界の変化と呼応するものであるだろう。社会の価値観が多様になっていくにつれ、絵画をめぐる審美眼そのものも多様化していくのは避けられないことだったのだろう。

アカデミスム絵画は歴史画を中心としたドラマティックな人間像を描くことに注力してきたわけだが、映画や写真の発明は、歴史画が担っていたものをより発展させた形での表現を可能にしてしまったと三浦氏は指摘する。

初期の映画映像をみると絵画作品の画面構成をそのまま流用したようなものを多く見ることができる。名画の構図をそのまま取り入れたような写真作品も多々ある。そうなってくると、絵画の表現が絵画でしか表しえないものを求めて変化していくのは当然の動きだったのかもしれない。そういったものが20世紀絵画の流れを形作っていくことになるのだろう。

また、写真技術や印刷技術の発達が、絵画的表現の場を飛躍的に広げていく。絵葉書やポスターなどが人々の生活の中に浸透していく。それらの表現の中にも、実はアカデミスム絵画の伝統が見られるのである。
ただ、それらは大衆化され、人々の生活と親和的なものを題材に展開されていく。

日本の近代洋画とフランス・アカデミスムの関係にもついても三浦氏は言及している。
19世紀末に日本近代洋画家たちはパリでアカデミスムの画家達に師事し、その技法を学んでいる。ジャポニズムがもてはやされ印象派たちは日本の芸術に新しい手法を求めたその時代に、日本人がアカデミスム絵画を学んでいるというのが面白い。

2回にわたる講演のまとめとして、今回の展覧会では、19世紀フランス絵画の全体像をしり、二つの美意識(伝統と近代、保守と革新)のダイナミックで繊細な関係を複眼的に見て欲しいと力説していた。

今回の展覧会では特に19世紀がテーマなので、そう主張されたのだろうが、時代が変化するとき、複数の美意識や価値観が混在するというのは、今までもこれからも変わらないだろう。音楽も文学も、少し時間が立つとその時代にはみえなかったものが見えてくるのかもしれない。じっさいそうして長い時代を超えて何度と無く再発見、再評価されてくる作品と言うものが存在するのだ。そう思うと、現代のいろいろなものも100年単位で年月を経ると、どんなものが残り、どんなものが忘れ去られるのか、興味深い。100年後、自分は生きていないから知りえないのだけれど。


以下、全くのいい加減な私見と感想
ロシアの指導者の交代劇を表現するのに、禿げと髭が交互になるというのがある。
絵画の画面処理は凸凹とつるつるが交互にやってくる。ルネッサンスのつるつるバロック・ロココの凸凹(控えめですけどね)新古典・アカデミスムのつるつる印象派の凸凹・・・・・
私としては、印象派の目線って、ロココの風俗画などが持っているものと似ていると思うのですよね。
大きなえらそうなものを描くのではなくて、身近にある何気ないものに興味が向いているかんじがするんですよね、女性のファッションに対する情熱とかも似ているし。

ロココを否定して新古典主義が台頭するわけで、その後を継ぐアカデミスム絵画からの脱却を目指すなら、その前のロココ的なものを取り入れてもおかしくないように思うのですよね。教条主義的じゃない、人間の快楽や感性を豊かに表したロココの風俗画を印象派の画家だって見ているはずだから。そのころルーブル美術館は公開されていただろうし・・・・・。印象派の人たちが、アカデミスム以前の絵画から影響を受けていたのかどうか
その辺をだれかに研究してもらいたいなあ・・・・・・。



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