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講演会参加記録帖
No.
2024/09/29 (Sun) 04:35:38

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No.14
2009/06/24 (Wed) 20:17:11

「ローマ賞」の栄光を浴することが出来るのは年に1人または2人だけ。では他の画家の卵たちはどうしたのだろうか?ローマ賞を逃した者達が次に己の栄達の為目指すのが「サロン展」である。詳しくはこちら⇒サロン・ド・パリ

現代では様々な方法で絵や彫刻が流通している。様々な公募展もあるし、批評雑誌もある。最近ではインターネット通販だって出来る。しかし、この時代、芸術アカデミーが開く「サロン展」がほとんど唯一の作品の発表の場であり、名声を得るチャンスだった。「サロン展」は社会的なイベントであり、会場には多くの人たちがつめかけ、そこでの評判が画家の将来を決めたといっても過言ではない。
フランス全土から1万点もの作品が集まり、一点一点審査され、最終的には3000点あまりが会場に展示される。まずはこの展示に残る事が目標となる。そして、賞を取ることができれば、注文もどんどん入ってきて、画家として成功したといえるようになるのである。サロン展で認められ入賞すると、国家が作品を買い上げてくれる。特に優れた作品はルーブル美術館に収蔵される。ルーブルに収蔵されるほどの作品でなければ、当時の現代美術館に相当するリュクサンブール美術館に収蔵される。(この場合、画家一人につき5点までと決まっていたそうだ。)リュクサンブール美術館に収蔵されなかった作品は、地方の美術館に送られ、そこに収蔵されることになっていた。才能は必ず中央から出てくるわけではない。地方の美術館に思いがけない有名画家の作品があったりするのは、画家本人が故郷の美術館に寄贈したりしているかららしい。

今回の展覧会も実に多くの美術館から作品が集められている。今は優れた芸術作品を集め一堂に展示する美術館の存在を当たり前のように思っているが、近代的な美術館の歴史は18世紀後半から始まったといってもいい。美術館の歴史をみると、中央が認めた文化を地方に浸透させるという、明確な意図を持って推し進められた政権戦略だったりすることがわかる。

それまで美術品を享受する層は特権階級である王侯貴族か、キリスト教会か、ごく一部の富裕なブルジョワ階級に過ぎなかった。階級制度の上層にいる人間達は自分達を権威付けるための絵画を必要としていたし、画家達も彼らの需要を満たさない限り、成功はなかったのである。「歴史画」とは、神話や聖書・歴史や文学から選ばれたテーマに沿って描き出される壮大なスペクタクルだったりしたのだ。そこで重要になるのは、しっかりとした遠近法による空間構成、確かなデッサン力に裏打ちされた人体描写、そして、的確な感情表現である。
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