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講演会参加記録帖
No.
2024/09/29 (Sun) 04:31:16

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No.6
2007/12/26 (Wed) 21:12:14

講演日 2007年12月20日(木)
講演者 中川恵一(東京大学医学部準教授)

 私は多分がんで死ぬと思っている。母親は大腸がんを52歳発病、最終的に肝臓に転移して、57歳で死亡した。父系も母系もがん死が少なくない。父系は比較的長命な家系なので、仕方ない部分もあるが、母系はさほど長命な家系でもなく、その家系には大腸がんが多い。がんの原因はさまざまである。遺伝的ながんもあるが、ほとんどのがんは遺伝とは関係ない。しかしながら、身内の発生頻度や生活環境を考えると、私ががんになる可能性は比較的に高いと言ってもいい。自分を引き合いに出すまでもなく、いまや、日本人の半分は、生涯に1度はがんにかかるという。世界一長命を誇る日本は、世界一のがん大国なのだ。
 母親ががんで死んだことで、いろいろなことを考えた。自分の無知、どうにもならない家族の事情、人の命に限りがあるという、厳然と動かしようのない究極の真実。
 母親が死ぬ以前にも、何度も死には遭遇してきた。だが、例えその死が祖父や祖母、伯父といった近しい間柄であったとしても、母親の死ほど衝撃的なものは無かった。私は自他共に認めるマザコンだ。男の子のマザコンはよく聞くが、女の子のマザコンは珍しいかも知れない。とにかく、親戚内では幼い頃から私は母親の金魚のフンとして有名だった。とにかく母親が大好きで、母のそばにいたかった。
 最愛の母の臨終に立会い私は人の命の無常を知った。どんなに愛していても、どんなにすがっても、死はその個のものである。母親は、身をもって私にその厳しさを教えてくれた。母が死んでから、私は変ったと思う。まず、死が恐ろしくなくなった。もちろん、死にたいわけではない。ただ、死が誰にでもやってくることだということが、はっきりと納得できた。私が死ぬときには、絶対母親が迎えに来るはずだと確信している。だから、私はただ一生懸命この世を生きれば良いのだと、得心した。どうせ死に至るなら、出来るだけ苦しくなく、ぎりぎりまで自分らしく生活できる方がいい。いまや日本人の半分ががんにかかると言うのなら、がんについて死っておかねばなるまい。
 ということで、がんに関する講演を積極的に聴くようにしている。たまたま、仕事がらみで、機会に恵まれている。今回は現役医師、特に緩和ケアに関する取り組みに積極的な方との事で、興味深深で参加した。

 のっけから辛口トークで始まった。ウォールストリートジャーナル 2007年1月11日の記事がスクリーンに映しだされる。アメリカのがんいよる死亡者数は年々減っているのに日本は年々増加しているという事実。日本人は自国の医療水準が世界でも優れた水準だと思っているだろうが、実は、日本のがん治療の水準は先進国の中でも、遅れているのだ。世界で標準治療と認められている治療法がなかなか日本で行われないという事実がある。乳がんの治療において欧米ではかなり以前から、乳房温存手術+化学療法または放射線療法が主流となっていた。治療効果が同じであるなら、女性なら誰だって大切な乳房を失いたくない。にも関わらず、日本では選択肢の提示さえ行われず、患者は命を失いたくないその一心で、泣く泣く胸筋まで取ってしまうような手術を受け入れてきた。日本で放射線治療の専門医は僅か800人足らずだという。この数字をどう見たらいいのだろう。まったく専門医がいない県すらあるという。
アメリカの医療費のGDPに占める割合は16%日本は半分の8%だ。
これは先進国中最低の水準である。単純にこの数字のみを比較することは難しいだろう。『医療費』と一口にいっても、この中にどのような費用が組み入れられているのがわからないし、日本とアメリカでは医療保険制度が大きく違う。講演会の中で、質問時間がとってもらえなかったので確認出来なかったのが残念だ。どなたか詳しい方がいたら、ぜひお教えいただきたい。
 日本人は日本の医療費は高いと感じている。これは、なぜだろう?ここで中川氏は鋭く指摘する。「日本人は安全・水・空気と同じように、医療も当たり前のように与えられるものと思っている。」確かに日本ほど国民がぼんやり生きていてもなんとかなる国はないかもしれないと思う。
以前、健康保険の本人負担割合は1割だった。それが2割になり、今では3割負担である。徐々に自己負担割合が引き上げられている。このあたりも負担感が大きい遠因かも知れない。そして、医療の地域間格差。医師の偏在が叫ばれて久しいが、地方では、医者に見てもらうために、長い距離を移動しなければならない。交通費も馬鹿にならない。同じ国民でありながら、地方の医療は非常に厳しい現実に立たされている。
 次々に驚きの事実が指摘されていく。日本ではがんで死亡した人間の数は数えられても、一年でどれだけの人間が新たにがん患者になったのか捕捉されていない。一部自治体ではデーターを取っているが、国レベルで取り組まれていない。だから、がんによる死亡者数は、戸籍抹消手続きの為に提出された死亡診断書から集められた情報しかない。
 かつて、日本人が恐れたのは感染症による死亡だった。抗生物質によって治療が可能になるまで、結核は日本人の国民病だった。そのため、結核・梅毒・百日咳など、感染症に罹患した人数は国に届出が義務づけられている。それに対し、いまや国民病となったがんに対して、基本的なデーターが集められていないという事実に愕然とする。さらに、住む地区によって、がん治療の水準に大きな差があるというのだ。同じがんにかかっても、最新の科学的根拠に基づいた治療を受けられる場所とそうでない場所では、その5年後の生存率に大きな差があるのだ。同じ国内でである。問題は、そのことを、国民は知らされていないし、知ろうともしていない。
中川氏はこう指摘する。「日本人は死ぬ気がない」がんの末期には激しい痛みをともなうことが多いと聞いているだろう。だが、きちんと医療用麻薬を使用すれば、その痛みを大幅に軽減することは可能である。にもかかわらず、日本での医療用麻薬の使用量はアメリカの20分の1に過ぎない。日本では、死を前提とした、個人の人生の質を第一に考える視点が欠けているのだという。死を認めることは、敗北になってしまっている。最後までがん患者を治療という名の下にがんと戦わせる。誤った認識から、患者家族が医療用麻薬の使用を拒むことすらあるという。人間はいつか死ぬ。このあまりに当たり前の事実を認めなければ、生きている今この瞬間を大切にできない。
 中川氏は放射線治療が専門だそうだが、日本では、放射線治療で十分効果が上がるがんの治療であっても、手術が行われているという。体を傷つけず、費用も安く済む治療法がなぜ普及しないのか。
 日本人はがんを恐れるあまり、その本当の姿を知ることすら避けていると中川氏はいう。本当は、戦うためにはまず、相手を知らなければならないのだ。日本人がもっとがんについて知識を深め、がん患者となっても、死を前提に、生きて自分の人生や大切な人たちとの時間の質を高める意識が持てなければ、本当にがんを克服していくことは難しいと思う。特別なタイプのがんをのぞけば、がん死は緩慢な死である。根治が難しくても、適切な治療とケアによって、生活の質を保ちながら死を迎えることが出来る可能性がある。問題は、自分自身でその環境を手に入れられるかということだ。がん患者になってから、あわてても遅い。私は、交通事故などで突然死にたくはない。もちろん、こればかりは自分で選べるわけではないのは承知の上だ。願わくは、自分が死ぬ事を覚悟する時間を与えて欲しいと願っている。きちんと身辺整理をして、残していく家族にあまり面倒をかけたくはない。現在励んでいる趣味の後始末もきちんとしておきたいし・・・。
 人は死ぬ。この事実は等しく誰の人生にもあてはまる。本当に母親が迎えに来てくれるか、それはわからないが、少なくとも、死の瞬間まで私は信じ続けるだろう。だから、もし、自分ががんになっても、積極的に治療に向き合えるように。これからも、勉強していくと思う。
 


 
 
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