忍者ブログ
AdminWriteComment
講演会参加記録帖
No.
2024/09/29 (Sun) 06:37:49

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

No.25
2010/03/14 (Sun) 21:45:47

参加日 2010年3月14日(日)
会 場 国立西洋美術館
開催日 開館している日曜日 15:00~約50分間 定員15名
      ボランティアスタッフによる国立西洋美術館建物の探検ツアー

企画展を見に行ったらちょうど入口に告知板が設置してあって面白いから参加してみようということになりました。国立西洋美術館の建物は、フランスの建築家(スイスの時計生産で有名なラ・ショー=ド=フォンの生まれ後にフランスに帰化)の設計によるものです。日本ではもちろん唯一、アジア地域でも他にはインドに2か所あるだけという希少なもの。世界遺産に登録しようとがんばっているらしい。その建物をボランティア・ガイドの方とめぐるツアーです。

今日の参加者は9名ほど。明るく元気な女性ガイドさんについて、まずは正面玄関の前からツアーが始まりました。
この建物基本設計はル・コルヴィジェなのだけれど、彼は外観デザインとか基本プランだけやって、実際に必要な設備についてはどうもおざなりだったらしい。館長室のトイレは設計に入っていたけれど、来館者用のトイレが設計に入っていなかったのだとか。おいおい、それじゃあ困るじゃないの!!この建物、実際に構造や施工管理を担当したのは、ル・コルヴィジェの3人の日本人のお弟子さんたちだったそうです。先生のある意味構想のみの設計から、実際に使える建物として調整したんでしょうねえ・・・。苦肉の策としてここのトイレは地下にあります。バリアフリートイレは何年か前に1Fに新設されました。

ル・コルヴィジェの提唱したモデュロール(人体を基本とした基本尺度みたいなもの)の説明や、国立西洋美術館の前に立つ三人のお弟子さんの一人が設計した東京文化会館建物との相関関係とかの説明を受け再び建物内へ移動しました。常設展示場の最初の部屋が、建物の中央に当たる位置になるのですが、ここで建物模型を見ながら、ル・コルヴィジェの建築基本構想について説明を受けました。真四角な建物は、収蔵品等が増えた場合どんどんカタツムリの殻が成長していくように外側に拡張できるように設計がされているとの事。真四角の対角線がちょうど南北にあうように建てられているそうです。明りとりの窓が中央にあり、19世紀広場と名付けられた第一室には自然光が入るようになってるそうです。もともと彫刻作品の展示スペースとして考えられたから、自然光が入ってもOKっということだったらしい。通常作品保護のため、日光は入れないものなんですけどねえ。その辺がとっても大雑把。さすがに今は紫外線対策はばっちりされているそうですが・・・。
ここから2階に上がるにはスロープになっているのですが、私はてっきりここはバリアフリーのためと思っていたのですが、そうじゃなくて、一階の彫刻作品をのぼりながら楽しんだり、建築の後ろ向きに進みながら見てもいいようにってことだったらしいです。途中階段も設置されているのですが、これは緊急用ってことで普段は使わないそうです。2階展示場に上がって、下で説明を受けたモデュロールについて、実際の物を見て説明をうけました。
展示室には3階に上がる狭い階段があるのは知っていたんですが、使われていないんです。なぜ使われないのか?なんと、幅が70センチしかないので建築法上使えないんですって。おいおい、ル・コルヴィジェさん、使えない階段くっつけてどうするんですか?さらにびっくりしたのは、50年前の開館当時、この美術館には空調が無かった!高温多湿の日本で、空調が無かったらいったいどうなるんだ?さらに、収蔵倉庫が一階の南東部分に置かれていたりと、本当に美術館って目的を理解して設計なさいましたか?っていうものだったんだそうです。それでも、日本人はこの建物の不都合な部分を手直ししながら使い続けて、耐震構造も施して、守っていこうとしてるんですねえ。なんだか、いじましいくらい努力してる。
インドにある2つの建物はすでに荒れてしまっているそうだけれど国立西洋美術館は今日も大勢のお客さんを迎え入れていました。なんだか、日本人の物を大事にしていこうという心意気を感じましたねえ。
この建物を世界遺産に登録しようと運動しているようですが、原型からだいぶ変わってしまっているから、登録を見送られてしまったとのこと。しかしねえ、美術館にふさわしい設備を備えさせるために改修するしかなかったのも事実。原型に戻したら、美術館としては使えなくなるでしょうし・・・・。
近代建築の巨匠の設計が、こんなものだったのか!と目からうろこと同時に、日本人ってやっぱり律儀なんだなあと感じた50分でした。
 

PR
No.23
2009/11/22 (Sun) 22:17:53

講演日 2009年11月22日(日)
会 場 東京芸術劇場展示ギャラリー(5階)
    14:00~16:30
講演者 近江吉明(専修大学文学部教授)
      1789年の陳情書の世界
      小井高志(立教大学文学部教授)
      マリー・アントワネットの最期


講演に先立ち、専修大学図書館の方から、ミッシェル・ベルンシュタイン文庫についての簡単な紹介があり、そのあと、最初の講演者である近江吉明教授が紹介されました。
あれ?どこかで見たことあるお顔だわ・・・と記憶をたどってみたら、2年前専修大で開かれたシンポジウムの会場で、ベルンシュタイン文庫資料を検索する端末操作を教えてくださった親切な方でした。まあ・・・・、教授様でいらしたのですね。きれいに整えられた口ひげと顎鬚が素敵な方です。還暦を迎えられたとおっしゃっていましたが、若々しくてとてもそんな風に見えないです。

世界的にも貴重なベルンシュタイン文庫の資料を研究していると、穴蔵みたいな収蔵庫にこもって仕事をするので、今日みたいに明るいところで講演ができてうれしいとおっしゃるその様子が、やんちゃな男の子みたいです。大好きなことを仕事にすると、苦労も苦労じゃないんでしょう。素人でも分かりやすいように噛み砕いてお話くださり、最後まで楽しく聞くことができました。

テーマは、ミシェル・ベルンシュタイン文庫に含まれている全国三部会開催に伴う第三身分の最終陳情書がどのような過程を経て作成されていったか、またその過程からフランス革命の実像に迫るというもの。
MB文庫の中には陳情書の資料が多数含まれているが、手書きのものが含まれており、それはまさにフランスにもないオリジナル資料で非常に価値が高いとのこと。フランス革命というと、「市民革命」と認識されているが、地方の農民や職人たちがどんな認識でいたのかを、陳情書を丁寧に読んでいくことで知ることができるとのこと。

第3身分の陳情書は、小さな地区から陳情書を代表が持ちより、その代表がさらに第二次の陳情書を作り代表を決定、最終的にバイイ・セネシャル(郡のような地区のことか?)単位で最終陳情書と代表がきまり、ベルサイユに赴いたそうだ。

その過程で、どのように陳情の内容が集約され、変化したか。それを具体的な例をあげて解説してくださったのだが、これが非常に興味深かった。小さな地区から出された陳情書は、税の重圧や不作による生活の困窮などを具体的に上げ、その改善を切望する素朴で現実的なものだったのが、二次・三次の集会を経る間に、生活感や具体性が消えていき、整理され、抽象化した要求項目の羅列へと変化していく。この変化がパリと地方のかい離を産み、民衆蜂起の騒乱へとつながっていく。自分たちの生活が改善されることを願う人々と、人権宣言などに代表される近代精神の確立を目指す層の望みは、時に対立するものでさえある。マスメディアの発達による情報伝達が人々をパニックに陥れ、農民蜂起を誘発する様などは、今までのフランス革命観を変えていく。

講演を聞きながら、ふと、沖縄の基地移転問題の事が頭に浮かんだ。実際に基地の騒音などに悩まされている沖縄の人々の願いと、国会や内閣の思惑のズレ。生活者の感覚と為政者の思惑。フランス革命での出来事は今も起きていることかもしれないとふと思ったりした。

歴史の評価も時代とともに変化していく。フランス革命に対する認識も、今後資料が読み解かれていくうちに変わっていくのかも知れない。

近江氏の講演の後、休憩時間に図書館職員の山岸拓郎氏が今回の展示品の丁寧な解説をしてくださいました。

小井高志氏(立教大学文学部教授)の講演テーマは、マリー・アントワネットの最期。マリー・アントワネットが日本の漆器コレクターだったことや、メディアによって、彼女が実像とはかけ離れた「モンスター」として喧伝されることによって、その悲劇的最期を迎えることになった様子などを紹介してくださいました。
メディアがもつ力の功罪をしみじみ感じました。

以前から思っていたのですけど、もし、ルイ16世が普通の王様のように、公的寵妃を持っていたならばマリー・アントワネットは悲劇の女王にならなかったかもしれない。ルイ16世は無能というより、むしろ知的でものがわかりすぎていて、八方塞がりの状況に優先順位をつけることができなかったんじゃないだろうか。
18世紀を知れば知るほど、あらゆるものがダイナミックに変化していった時代なんですよね。もしかすると現代社会の困難さを解決するためには、18世紀の歴史をもう一度常識にとらわれず見直していくことが有益なんじゃないかと思ったりします。

講演会は80名定員でしたが、70名くらいの参加者でした。大学の学生さんと研究者さん、意外にご夫婦連れなんて方もいらっしゃいました。
お土産に、展示品図録やクリアファイル、カレンダーなどもいただいて、専修大学さん太っ腹~!!でございました。




 

No.17
2009/07/24 (Fri) 22:42:39

公演日 2009年7月23日(木)19:00~21:00
演奏者 バロック・バイオリン 阿部千春 バロック・リュート 蓮見岳人
会 場 サロン・ド・パッサージュ 江戸川橋駅徒歩3分
費 用 3500円

総じてバロックという時代が面白いと思う。美術も建築も音楽もルネッサンスの調和のとれた明快な表現からちょっとはみ出してというか、もっと人間臭い扇情的で過剰な感じがして、なんとも言えず面白い。

バロック・リュートの奏者蓮見氏と私は血縁がある。一族の集まりで子供のころになんどか遊んだことがある。彼のお姉さんとは同じ年だ。子供のころから、ちょっとひょうきんで風変りな味のある子だった。本当に久しぶりの再会で、お互い年取ったねえ~と感慨深かったですねえ。

縁というのは摩訶不思議なもので、旦那の大学時代の友達と、彼がケルンの下宿で隣どうしだった。何かの拍子で旦那のことが話題に上り、お互いその関係にびっくりしたらしい。海の向こうで話題になっちゃう私の旦那っていったいどういうことなんだろうとその話を聞いた時には思いました。

バロック・バイオリンの演奏を生で聞くのは初めて。モダン・バイオリンと違い肩当ても顎当てもない。弓も凹型に反ったものではなく、むしろ少し中央が膨らんだ形をしている。弦はガット製だ。肩あてや顎当てがないから、肩と顎にはさむというのではなく、肩のくぼみに自然に当てられることになる。演奏姿勢は極めてエレガントに見える。音色もとても有機的で繊細に感じた。特に消え入るように引き伸ばされたピアニッシモの音色は、モダン・バイオリンにはない魅力があります。

リュートは中央アジアで生まれた楽器が西に伝わり発達した楽器だが、同じご先祖から伝わって、日本に行きついて琵琶になった。日本の琵琶は撥で演奏するがリュートはギターと同じで指でつまびく。ギターより甘い音色に感じる。丸い胴のせいだろうか?

天気もあまりよくなかったし、湿気がものすごかったから、最初の2曲ほどは楽器の鳴りも今一つだったような気がする。冷房で湿度が下がるにつれ音の鳴りが良くなっていったのが面白かったですね。楽器がまさに生き物って感じ。

演奏の合間に作曲家や演奏法についてのトークもあり、いろいろ勉強になりました。今まで知らなかった作曲家の作品もとても新鮮でした。また一段とバロックにはまってしまいそうです。
No.10
2008/06/08 (Sun) 22:52:42

フローリスで香り体験
2008年6月8日(日)14:00~15:30
新宿伊勢丹 1F フレグランス売り場

友人R嬢の誘いで、英国の老舗香水店FLORISのイベントに参加しました。
以前R嬢から分けてもらったボディローションの香りが非常に好みだったので、購入したいと思っていたところだったので、これはひとつ香りについて経験するのも良いだろうと、二つ返事で誘いに乗ったというわけです。
FLORISの次期当主9代目トム・マシュー氏から直接接客してもらえるという特典付きというのにも興味を惹かれました。老舗の若旦那さん自ら香りのご相談に乗ってもらえる!ミーハー心が刺激されます。
 いつになく気合を入れておしゃれして、R嬢と共にいそいそと会場へ。店頭に設けられた試香台には、サンプルが整然と並べられています。その前に銀色のスツールが三脚。この日の座席は3席。まあ、なんと贅沢な!三人の為に、次期当主自ら、セールスしてくださる!わくわくどきどきです。私とR嬢は時間通りにつきましたが、ちょっと遅れたもう一人の方を待っていよいよ次期当主さんのお話が始まります。
 次期トム・マシューさんはジョン・トラボルタを上品にしたようなお顔立ち、さほど背の高い方ではありませんが、灰色味を帯びた茶色の短髪に水色の瞳の穏やかでやわらかい雰囲気の方です。
 カードを使って、まず、フローリスの歴史や経営理念を説明してくださいました。素敵な女性担当者が通訳を勤めてくださいましたが、マシュー氏は美しく平易な英語で話してくださったので、半分ぐらいは理解できました。こういうときにもっと英語を勉強しておけばよかったと痛感します。
 その後、試香台のサンプルをひとつづつ試しながら、その製品の特徴や愛用している方のエピソードなどを聞かせてもらい、最後に一人ひとり自分の好みなどの相談に乗っていただきながら、商品を選びます。
 色々な香りを聞いてみると、自分の好きな香り、苦手な香りというのを自覚することができます。私は、フルーティでフローラルなものが好みの中心で、そこに、グリーン系の香りが入ったものに惹かれるようです。
 故ダイアナ元皇太子妃が好んだというジニアはスパイシーなトップノートの奥にフローラルな香りが立ち上る個性的なもので、いかにもでしたし、エリザベス女王のお好みのブーケ・ドゥ・ラ・レーヌはエレガントで気品ある香りです。オスカー・ワイルドが愛用したというマルメゾンはいかにも伊達男の雰囲気を醸しています。ロシアのオルロフ公爵のために調合されたというNO127はやわらかく包み込まれるようなどこか懐かしい香りでした。
 フルールとリリーオブザバレーの二つが特に気に入ったのですが、R嬢に以前分けてもらったフルールのローションが香りも使用感も良かったので今回はフルールのトワレとローションを購入することにしました。
 マシュー氏のサインを入れてもらって、最後に握手をしていただきました。やわらかく暖かな手でした。
 フローリスは創業以来、家族でずっと経営してきたということで、今はトムさんのお父さん・トムさん、従兄弟さんで経営しているそうです。
一番初めに作った製品は石鹸だったそうです。懐かしそうにお話してくださいました。老舗を守るということをきっと小さい頃から心に刻んで育ったのだろうと思いました。
 初めての経験でしたが、化粧にあまり興味はないけれど、香りはもっと楽しんでいこうかな~と思った楽しいイベントでした。
  
 

 
No.6
2007/12/26 (Wed) 21:12:14

講演日 2007年12月20日(木)
講演者 中川恵一(東京大学医学部準教授)

 私は多分がんで死ぬと思っている。母親は大腸がんを52歳発病、最終的に肝臓に転移して、57歳で死亡した。父系も母系もがん死が少なくない。父系は比較的長命な家系なので、仕方ない部分もあるが、母系はさほど長命な家系でもなく、その家系には大腸がんが多い。がんの原因はさまざまである。遺伝的ながんもあるが、ほとんどのがんは遺伝とは関係ない。しかしながら、身内の発生頻度や生活環境を考えると、私ががんになる可能性は比較的に高いと言ってもいい。自分を引き合いに出すまでもなく、いまや、日本人の半分は、生涯に1度はがんにかかるという。世界一長命を誇る日本は、世界一のがん大国なのだ。
 母親ががんで死んだことで、いろいろなことを考えた。自分の無知、どうにもならない家族の事情、人の命に限りがあるという、厳然と動かしようのない究極の真実。
 母親が死ぬ以前にも、何度も死には遭遇してきた。だが、例えその死が祖父や祖母、伯父といった近しい間柄であったとしても、母親の死ほど衝撃的なものは無かった。私は自他共に認めるマザコンだ。男の子のマザコンはよく聞くが、女の子のマザコンは珍しいかも知れない。とにかく、親戚内では幼い頃から私は母親の金魚のフンとして有名だった。とにかく母親が大好きで、母のそばにいたかった。
 最愛の母の臨終に立会い私は人の命の無常を知った。どんなに愛していても、どんなにすがっても、死はその個のものである。母親は、身をもって私にその厳しさを教えてくれた。母が死んでから、私は変ったと思う。まず、死が恐ろしくなくなった。もちろん、死にたいわけではない。ただ、死が誰にでもやってくることだということが、はっきりと納得できた。私が死ぬときには、絶対母親が迎えに来るはずだと確信している。だから、私はただ一生懸命この世を生きれば良いのだと、得心した。どうせ死に至るなら、出来るだけ苦しくなく、ぎりぎりまで自分らしく生活できる方がいい。いまや日本人の半分ががんにかかると言うのなら、がんについて死っておかねばなるまい。
 ということで、がんに関する講演を積極的に聴くようにしている。たまたま、仕事がらみで、機会に恵まれている。今回は現役医師、特に緩和ケアに関する取り組みに積極的な方との事で、興味深深で参加した。

 のっけから辛口トークで始まった。ウォールストリートジャーナル 2007年1月11日の記事がスクリーンに映しだされる。アメリカのがんいよる死亡者数は年々減っているのに日本は年々増加しているという事実。日本人は自国の医療水準が世界でも優れた水準だと思っているだろうが、実は、日本のがん治療の水準は先進国の中でも、遅れているのだ。世界で標準治療と認められている治療法がなかなか日本で行われないという事実がある。乳がんの治療において欧米ではかなり以前から、乳房温存手術+化学療法または放射線療法が主流となっていた。治療効果が同じであるなら、女性なら誰だって大切な乳房を失いたくない。にも関わらず、日本では選択肢の提示さえ行われず、患者は命を失いたくないその一心で、泣く泣く胸筋まで取ってしまうような手術を受け入れてきた。日本で放射線治療の専門医は僅か800人足らずだという。この数字をどう見たらいいのだろう。まったく専門医がいない県すらあるという。
アメリカの医療費のGDPに占める割合は16%日本は半分の8%だ。
これは先進国中最低の水準である。単純にこの数字のみを比較することは難しいだろう。『医療費』と一口にいっても、この中にどのような費用が組み入れられているのがわからないし、日本とアメリカでは医療保険制度が大きく違う。講演会の中で、質問時間がとってもらえなかったので確認出来なかったのが残念だ。どなたか詳しい方がいたら、ぜひお教えいただきたい。
 日本人は日本の医療費は高いと感じている。これは、なぜだろう?ここで中川氏は鋭く指摘する。「日本人は安全・水・空気と同じように、医療も当たり前のように与えられるものと思っている。」確かに日本ほど国民がぼんやり生きていてもなんとかなる国はないかもしれないと思う。
以前、健康保険の本人負担割合は1割だった。それが2割になり、今では3割負担である。徐々に自己負担割合が引き上げられている。このあたりも負担感が大きい遠因かも知れない。そして、医療の地域間格差。医師の偏在が叫ばれて久しいが、地方では、医者に見てもらうために、長い距離を移動しなければならない。交通費も馬鹿にならない。同じ国民でありながら、地方の医療は非常に厳しい現実に立たされている。
 次々に驚きの事実が指摘されていく。日本ではがんで死亡した人間の数は数えられても、一年でどれだけの人間が新たにがん患者になったのか捕捉されていない。一部自治体ではデーターを取っているが、国レベルで取り組まれていない。だから、がんによる死亡者数は、戸籍抹消手続きの為に提出された死亡診断書から集められた情報しかない。
 かつて、日本人が恐れたのは感染症による死亡だった。抗生物質によって治療が可能になるまで、結核は日本人の国民病だった。そのため、結核・梅毒・百日咳など、感染症に罹患した人数は国に届出が義務づけられている。それに対し、いまや国民病となったがんに対して、基本的なデーターが集められていないという事実に愕然とする。さらに、住む地区によって、がん治療の水準に大きな差があるというのだ。同じがんにかかっても、最新の科学的根拠に基づいた治療を受けられる場所とそうでない場所では、その5年後の生存率に大きな差があるのだ。同じ国内でである。問題は、そのことを、国民は知らされていないし、知ろうともしていない。
中川氏はこう指摘する。「日本人は死ぬ気がない」がんの末期には激しい痛みをともなうことが多いと聞いているだろう。だが、きちんと医療用麻薬を使用すれば、その痛みを大幅に軽減することは可能である。にもかかわらず、日本での医療用麻薬の使用量はアメリカの20分の1に過ぎない。日本では、死を前提とした、個人の人生の質を第一に考える視点が欠けているのだという。死を認めることは、敗北になってしまっている。最後までがん患者を治療という名の下にがんと戦わせる。誤った認識から、患者家族が医療用麻薬の使用を拒むことすらあるという。人間はいつか死ぬ。このあまりに当たり前の事実を認めなければ、生きている今この瞬間を大切にできない。
 中川氏は放射線治療が専門だそうだが、日本では、放射線治療で十分効果が上がるがんの治療であっても、手術が行われているという。体を傷つけず、費用も安く済む治療法がなぜ普及しないのか。
 日本人はがんを恐れるあまり、その本当の姿を知ることすら避けていると中川氏はいう。本当は、戦うためにはまず、相手を知らなければならないのだ。日本人がもっとがんについて知識を深め、がん患者となっても、死を前提に、生きて自分の人生や大切な人たちとの時間の質を高める意識が持てなければ、本当にがんを克服していくことは難しいと思う。特別なタイプのがんをのぞけば、がん死は緩慢な死である。根治が難しくても、適切な治療とケアによって、生活の質を保ちながら死を迎えることが出来る可能性がある。問題は、自分自身でその環境を手に入れられるかということだ。がん患者になってから、あわてても遅い。私は、交通事故などで突然死にたくはない。もちろん、こればかりは自分で選べるわけではないのは承知の上だ。願わくは、自分が死ぬ事を覚悟する時間を与えて欲しいと願っている。きちんと身辺整理をして、残していく家族にあまり面倒をかけたくはない。現在励んでいる趣味の後始末もきちんとしておきたいし・・・。
 人は死ぬ。この事実は等しく誰の人生にもあてはまる。本当に母親が迎えに来てくれるか、それはわからないが、少なくとも、死の瞬間まで私は信じ続けるだろう。だから、もし、自分ががんになっても、積極的に治療に向き合えるように。これからも、勉強していくと思う。
 


 
 
| HOME |  次のページ≫
[1]  [2
カレンダー
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
フリーエリア
最新CM
[12/05 正春]
[12/04 DNA]
[12/04 正春]
最新TB
プロフィール
HN:
DNA
性別:
非公開
職業:
流通業事務屋
趣味:
美術展鑑賞と読書
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]