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講演会参加記録帖
No.
2024/09/29 (Sun) 04:21:59

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No.13
2009/06/23 (Tue) 20:37:13

フランスなのに「ローマ賞」ってなんだか変ですよね。日本人にとってはヨーロッパのひとつの都市に過ぎないローマですが、キリスト教を信じる人々に取ったら、総本山バチカンがある特別な都市なんです。ヨーロッパの人々にとって、古代ギリシャやローマの文化が自分達の根っこにあるものだと思っている。そして、キリスト教化した後にはローマは聖地というわけです。だから、フランスもイギリスもドイツも引き寄せられるようにローマを目指すわけです。で、優れた文化芸術を自国に取り入れる為の拠点を、フランスはローマに作ったと言うわけ。ボルげーゼ庭園内にある、ヴィラ・メディチ荘に在ローマ・フランス・アカデミーが置かれている。現在も、ちゃんと同様のシステムが機能しているというから驚き!とにかく、優れた芸術家の卵たちが厳しい選別を勝ちぬき、ローマ賞を取ると奨学金が与えられ、フランスからローマへと送り込まれる。彼らはローマで研鑽を積み、本国に優れた文化を運ぶ、運び屋さんとなったのです。

ローマ賞全般についてはウィキペディアにあったのでこちらをどうぞ⇒ローマ賞
ローマ賞受賞者リストはこちらをどうぞ⇒英語版ローマ賞

さて、美術史を勉強すると、17世紀以降のフランスの著名な画家の生涯には必ずといっていいほど「ローマ賞」という言葉が出てくる。ローマ賞を受賞したというのもあるし、何度も挑戦したがついにだめだったとかいうのもある・・・。ダヴィッドみたいに、ローマ賞に続けて落選して、自殺を図ったという逸話をもつ人もいる。ローマ賞の目的が有望な若者にローマで研鑽を積ませ、フランスに優れた文化を持ち帰えらせるというものなので、チャレンジするにも制約があるのだ。毎年春に行われるコンクールに参加できるのは、30歳までのフランス人で独身男性でなければならない。カトリックでは、既婚者が単身赴任なんて不道徳なことは許さないので(結婚したら一緒にすまなきゃだめって言うのが常識だった。逆に別居を認めるということが、事実上の離婚に相当していたんですね~)、独身じゃなきゃだめだったんですね。30歳で受賞したら、35歳まで結婚出来ないということになりますね・・・・。ちょっとかわいそう。

コンクールは三次審査まである。一次審査は与えられたテーマから製作した小型の構想図エスキス(32.5cm×40.5cmぐらい)。ここで100人から20人にいっきにふるい落とされます。次にデッサン。一次のエスキスより大きなサイズのもので、彫像や男性モデルを使い、7時間×4回行われる。とにかく、ちゃんとした画家は男の裸体が上手く描けなきゃだめだった。今の私たちだと、裸婦ではなく、裸夫か?思うのだけれど、小文字でacademyと書いたら男性裸体画のことをいうのだそうだ。最終審査は与えられたテーマでの歴史画の製作。これが大変なんですよ。カンズメにされて、12時間以内に下絵を提出しなければならないのだ。そして、その下絵を72日間かけて仕上げるのだが、最初に提出した下絵とかけ離れた作品は失格となる。つまり12時間以内に、出されたテーマから構想を練り、完成までを見越した下絵を描かなきゃいけないのです。簡単なテーマだったらいいのですけど、聖書や神話、古典文学からランダムに選ばれてくるテーマなんですよ。事前にわかっていればテーマに相応しい場面とかをあらかじめ考えられますけどね、いきなり今回のテーマはこれって示されるのです。もしそのテーマを知らなかったらアウトです。優れた歴史画家になるには、聖書や神話、古典文学に精通し、与えられたテーマに相応しい画面構成を、短い時間で完成できる能力がなきゃいけなかったんですね。美しく見たものを写し取る技術だけではなく、物語を絵に構成する能力・・・・。本当に大変そうですね・・・・。

その3に続く
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No.12
2009/06/23 (Tue) 00:49:03

講演日 2009年6月21日(日)15:00~16:30
講 師 三浦 篤 東京大学教授
会 場 横浜美術館レクチャーホール 先着240名 無料

この講演会の内容は私にとって、まさに宝の山、今まで知りたくてもなかなかわからなかったことを沢山教えていただけた。忘れっぽい自分の為にも出来るだけ記録しておきたいと思う。なので、複数回にわたってだらだら書く事になります。ご容赦下さいませ。


横浜美術館のレクチャーホールはとても立派ですわり心地のいい椅子だった。さすが横浜市はお金持ちだ。生憎の雨で、ホールにはちらほら空席があった。「19世紀フランス印象派について」という演題だったらもう少し席は埋まったかもしれない。
だいたい「歴史画」っていったいなに?と普通は思うだろう。近頃18世紀を中心としたフランス文化に興味があるからこそ、私は俄然興味を引かれたのだけれども。

三浦篤氏の講演を聞くのは2度目。前回は2008年国立西洋美術館でヴィーナス展の講演会だった。そのときも非常に話の上手い方だなあと思ったけれど、今回もさすがに上手いなあ~と感じいってしまった。難しいことを難しく言うのはある意味簡単なのだが、難しいことを平明に言うのはとても難しい。

講演はこの展覧会の意義の説明から始まった。日本において、19世紀絵画において印象派こそが主流派のように思われているが、実は、アカデミスム絵画こそ、19世紀当時は主流だったことは、ほとんど知られていない。19世紀当時に立ち戻り、アカデミスム絵画の豊かな流れのなかから印象派や近代画派が登場した事実を明らかにしようというとても意欲的な企画であることを三浦氏は熱く主張された。講演の前に展示を見ていたので、この三浦氏の主張が非常に良くわかり、思わず拍手したくなってしまった。

先ず、アカデミスム絵画を生み出したフランスの画家養成システムについて説明される。日本に同じような制度がないので、わかり難いのだが、フランスでは国が芸術家を国家予算で養成するという制度があるのだ。今でこそフランスは文化と芸術の国と思われているが、17世紀ぐらいにはイタリアに比べると田舎でダサい国だったのだ。フランスはイタリアに追いつけ追い越せとばかりに、国を挙げて文化振興政策をとった!
美術についても勿論のことである。(美術アカデミーの創設は1648年)今では絵の主題によって絵がランク付けされたりしないが、当時は「歴史画」が最上位ランクに置かれ「肖像画」「風景画」「風俗画」などより高級な絵画とされていた。それで、優れた画家というのは要するに優れた「歴史画」が描ける画家という事に等しかった。国家が養成するのは、まさに優れた「歴史画」家だったのだ。芸術の世界に厳然と階級があったというのは、何でもありの今からはちょっと想像が難しい。
とにかくも、19世紀当時の画家の栄光の道というのは次のようだった。
国立美術学校⇒ローマ賞受賞⇒ローマ留学5年間⇒サロン出品入賞⇒作品の国家買い上げ⇒国家からの作品注文⇒美術アカデミーの会員になる⇒美術界を牛耳る
この栄光のすごろくみたいのを登りきれた人はほんの一握りだったわけです。美術アカデミーの会員は僅かに14人。終身制だから、誰かが死ななきゃポストが空かない。長生きしたら恨まれそうですね。

その2に続く






No.11
2008/08/02 (Sat) 22:02:27

講演日 2008年8月2日(土)14:00~16:00
パネリスト ピエール・サットン(ブルース美術館長)
      マジョリー・ヴィーゼマン(ロンドンナショナルギャラリー学芸委員
      イエルン・ヒルダイ(ボイスマン美術館学芸員)
会 場 東京都美術館 講堂

ヨハネス・フェルメールは17世紀オランダの代表的な風俗画家である。
普通の風俗・風景画家は100点から150点の作品を残しているのに、彼が残したのは僅かに三十数点に過ぎない。世界中の愛好家達が、彼が残した作品を全て見てみたいと作品を所蔵している美術館を旅して回るほど強烈な魅力を持っている。

今回なんと7点もの作品が出品されている。マニア達が動かないはずがない。初日の今日、開館時間前にすでに380名もの人が少しでも早く作品を見たいと並んだそうだ。
今日は展示は見ずに、シンポジュウムのみ参加ということで、整理券配布時間30分前に会場前に行くと、すでに長蛇の列。240人定員のところ160番代をゲット。上手い具合に会場中央の席を確保することができた。

TBSの男性アナウンサーが司会を担当し、パネリストの講演が各30分ずつあり、その後質問時間が設けられた。
17世紀オランダ絵画についてはあまり詳しく勉強をしたことがないので同時通訳の言葉を追いかけるのが精一杯。少し予習をしていくべきだったと反省。2人目の女性パネリストの講演は、風俗画に描かれた17世紀のオランダ女性についての話で、非常に興味を持って聞くことができた。
17世紀オランダの女性は、同時代の他の国の女性に比べ自由度が高く、社会的な権利も持っていたそうだ。その背景には、オランダがプロテスタント国であり、スペインからの独立を勝ち取り市民が政治を行う共和国であったことがあげられていた。

オランダ絵画といえば風俗画や風景画が連想され、ほとんど歴史画や宗教画の印象がない。質問をしてみたところ、やはり、この頃すでに数量的に、歴史画や宗教画はかなり減ってきていたとの事だった。

フェルメールの作品がこれだけ一度に集まることは、おそらく今後10年はないのではないだろうか。会期は12月まであるので、ぜひ、お出かけになることをお勧めします。





No.9
2008/03/01 (Sat) 21:23:26

講演日 2008年3月1日(土)14:00~16:00
講演者 大野 芳材 (青山学院女子短大芸術学科教授)
会 場 東京都美術館 講堂

大野芳材氏の公演を聞くのは3回目。18世紀絵画を専門に研究されている方である。
18世紀美術は17世紀古典主義と19世紀新古典主義からロマン派・印象派etc.に挟まれてあまり研究が進んでいなかったのだという。確かに、壮麗な古典主義や簡潔で力強い新古典主義、親しみやすい印象派などに比べると、軽やかで甘いロココ様式は軽く扱われがちだった。しかし、最近は研究者も増えて、いろいろなことがようやく研究され始めたとのことだ。
 ロココの工芸品における東洋趣味はかなり大きな部分を占めている。中国の磁器や日本の漆器は食器や装飾品。家具として、ブロンズや金銀のロカイユ装飾と組み合わされ、新しい物に作り変えられ、遠い異国へと人々をさそい、ローマ古代世界に対する憧れが新古典様式を導いていく。 
18世紀は博物学的興味が花開いた時代でもある。今回の展示品をこうした観点から丁寧に解説してくださった。大野先生の話口はとても気さくで平易なので、1時間半の公演はあっという間だった。最後に質問を受けて下さるというので、少々講演のなかで気になった点を質問させていただいた。どうやらご専門の部分と微妙にずれた質問をしてしまったようで、
丁寧にお答えいただいたものの、部分的には分からないというお答えでした。講演が終わり、会場を出ようとしたところ、都美術館の職員さんが声をかけて下さって、先生のお答えに補足説明をしてくださった。ロビーで15分ほども丁寧に教えてくださって、なんだかとても得をした気分になりました。専門家の講義を聴いて、おまけに、美術館の方の方から声をかけていただいて、本当に今日はラッキーな一日でした。
 
No.8
2008/02/09 (Sat) 21:36:12

講演日 2007年11月18日(日)
会 場 サントリー美術館 6F ホール 14:00~16:00
参加費 2000円 (展覧会チケット含む)
講 師 鹿島茂(共立女子大学文学部教授)


司会の女性からマイクを渡された瞬間から、鹿島茂ワールドが全開!とにかくパワフルで肩の凝らない語りっぷりについ笑い声を上げてしまいそうでした。

話はロートレックのモダニティから話は始まりました。ロートレックが捕らえ、表現した美は、従来の対象の中に既に存在するものとしての美ではなく、対象との関係性の中に浮かび上がってくる一瞬の美であると鹿島氏はいいます。この瞬間の中に捉えられる美は、スナップ写真が可能になって広く認知されるようになりますが、ロートレックは後世テクノロジーの進化によってはじめて一般人が気がついた美を既に予感していたと指摘します。そして、芸術の本質とは、時代を先取し後のテクノロジーを予感させるものにこそあるといいます。
19世紀中葉にパリの街はナポレオン3世によってセーヌ県知事に任命されたオスマン男爵によって大改造がおこなわれました。街の中央の開発によって立ち退きを余儀なくされた人々が移り住んだモンマルトル界隈が急速に発展していった様子や、キャバレーやカフェ・コンセールで繰り広げられる華やかで、ちょっといかがわしくて、ばかばかしくも哀しい話が
開けっぴろげな口調で次から次へと繰り出され、まるで、活動写真を言葉で表現されているかのような面白さでした。たくさんの著作をお持ちの鹿島氏ですが、活字から想像する以上にエネルギッシュで魅力的な方でした。機会があったらまた聞いてみたい!!と思った講演でした。
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